育児カウンセリング・女性のケア担当の稲吉 静です。
新年度になって5日目のこと。
小2になった息子が久々に夜泣きをしました。
「わーーーっ!」っと叫びながらジタバタし、隣にいる姉たちに体当たりを始めたので、眠さを振り切って慌てて起きて、だっこして抑えます。
からだが段々大きくなってきて、力も強くなっているので、抑えるのが大変!
でも、しばらくすると腕の中で落ち着き、今度はしくしくと泣き出しました。
そして、さめざめと泣きながらこう言うのです。
「こわい夢見た…」
「死にたくないよぅ…。生きたいよぅ…。生きて幸せに暮らしたいよぅ…。」
「ママ、○○君が死んでも、ずっと覚えててくれる?忘れないでいてくれる?」
我が子の衝撃のことばにびっくりして、怖くなって、不安になって、涙が出てしまい、ただただ息子をぎゅーーーーっと抱きしめるしかできませんでした。
不安をかき消すために、ギュー――っと。
気が動転して、息子を安心させてあげられるようなことばも出てきませんでした。
そうしているうちに、息子は腕の中ですぅすぅと寝息を立てて寝始め、ふとんに降ろしても起きずに、そのまま再び眠りにつきました。
そのあと母がしばらく眠れなかったのは言うまでもありません(苦笑)。
そんな新年度の夜中の2時。
次の日に息子に夢のことを聞いてみると「キリンに食べられた」と。
「ねーねたちも、こどもはみんな(食べられた)」
「おかあさんとおとうさんは食べられなくて、こどもたちのことを覚えてなかった」と。
その場にいたねーねたちも「キリンに食べれた!?こわっ!!」と言いながら、でも、ちょっと滑稽でみんなで笑ってしまいました。
実はまだ夜中に聞いた息子のことばが残り、身体に恐怖と不安の感覚が残っていた私は、その笑いでふっといろいろなものがほどけ、安心の感覚が戻ってきました。
なので今、この文章を書けています(上の息子のセリフを書くときはやっぱりちょっとドキドキしましたが(^-^;))
ここで少し、夢とこころの関係について書いてみたいと思います。
心理学の考えの一つに、夢にはその時のその人の無意識の部分が映し出されると捉える考え方があります。
夢にその人の精神状態やこころの課題があらわれていると仮説を立てて、その人の状態を知るひとつの手掛かりにします。
今回の息子の夢。
その時はただただ怖いとしか思えなかったのですが、同職の夫と話すうちに落ち着いて、今の息子の心理状態の仮説が見えてきました。

この春休み、家族旅行で、ある動物園に行ったのですが、そこにはキリンがいて、誰でも餌をあげられるようになっていました。
柵のところで餌をちらつかせていると、キリンがのしのし寄ってきて、大きくて長い舌をだして餌を食べます。
間近で見るキリンは、大きくて大迫力!
息子も餌をあげて楽しんでいるように見えました。
娘は餌と一緒にキリンに手をなめられ大騒ぎ。
私も餌をあげました。
自分の手よりも大きくて長い舌がにょーと伸びてきて、餌を巻き取り、食べる。
餌を離さずに持っていると、キリンは一生懸命餌を食べようと力強く引っ張るので、自分の手も持っていかれるような感覚があります。
ちょっと怖いから、いつの間にか餌から手を放している感じ。
大人でも引っ張られる感覚があるのだから、こどもはもっと強く引かれる感覚を持つのではないでしょうか。
息子も実は楽しいけどちょっと怖い、そんな気持ちで餌をあげていたのかもしれません。
そんな、自分の力ではどうすることもできないキリンのような大きな存在に食べられる。
怖いですね・・・。

新年度は、こどもたちにとって、自分ではどうすることもできない環境の変化がたくさんあります。
ひとつ大きくなる責任感。
2年生は、一番下で守られてきた学年からの卒業。
新しい勉強。すこし難しくなった勉強。
新しいクラス。新しい先生との出会い。新しい友達との出会い。
新しい関係性を自分の力で創り上げていく期待と不安。
などなど。
そして、それと一緒に、周りの人の期待と責任感も、自然と膨らみます。
ひとつ大きくなったんだから、きっとこれくらいはできる。
ひとつ大きくなったんだから、これくらいはやってほしい。
ひとつ大きくなったんだから、少し厳しく。
そういえば息子が、「先生たちが『2年生なんだから』ってちょっと怖くなったんだよ」と言っていました(息子の主観ですが)。
親も自然に、「2年生だから」のオーラがあふれてしまっていたのかもしれません。
でも、よく考えたら、新年度を境にひとつ学年が上がっただけで、息子は旧年度からの「ひと続き」の息子なのです。
自分ではどうにもできない大きなものに飲み込まれて、これまでの自分がなくなってしまうのではないかという不安と怖さ。
周りのひとも、親も、これまでのひとつ小さな自分を忘れてしまうのではないかという不安と怖さ。
潜在的に、息子は、今こんな不安や怖さと闘っているのではないかなと感じました。
(注:夢の解釈はあくまでひとつの「仮説」です。)
大人だって、18歳になったその日から急に「大人」にはなれません。
みんなどの段階でも「ひと続き」で、だんだん大きくなっていくのです。
ひとつ大きくなる新年度。
大きくなる「気がする」新年度。
大きくなることへの期待と喜びは、その人の成長を促してくれる大切なものです。
ただ、これまで積み上げてきた小さなひとつひとつを忘れがちな時期。
こどもが何か不安定なサインを出したら、少し小さかった時のことや、今まで積み上げてきた時間を思い出してみるのもいいかもしれません。
そして、まだまだ〇年しか生きていないことを思い出してみてもいいかもしれません。
不安で怖くて仕方のない、私にとってはホラーな夜でしたが(笑)、大切な大切なことに気付かせてくれた出来事でもありました。

こどもの中で起こっていること。
大人の中で起こっていること。
当事者ではなかなか見えないことがたくさんあります。
私も、本職の心理学のことなんて忘れて、ただただ不安に飲み込まれました。
でも、夫と話すことで視野が広がり、大切なことが見えてきました。
いろいろな感情が入り混じる新年度。
自分ではどうすることもできにくい環境に慣れることに一生懸命で、不安と緊張に包まれやすい新年度。
こどももそうだし、そこを支える大人も、知らないうちにこころが疲れやすい時期です。
こどものこと。大人自身のこと。
ひとりで考え続けるのは誰でも不安です。
カウンセリングやさまざまなケアを通して、少しでも光が射してくるといいなと思います。
いつもお世話になっております。
静先生が記事を初めて書かれて、嬉しいなーと思って、ちょっと勇気がいりましたがコメントします。
子ども達の日々の中で起きている小さなサインにちゃんと気づいて、そうしてケア(?)をしてあげることの大切さ。
そういうことの積み重ねが、子ども達や私たちの生活をより良いものにしていくんだと思いました。
少しずつですが、静先生のカウンセリングにお世話になりつつ、子ども達のことを理解したり(何でいう事を聞かないんだろうとか、一方では思いながら・笑)、自分自身をケアしていく視点が育ってきたり。
本当は、日々の中により良くなっていくヒントがいっぱいあって、そういうことにも気づきだしています。
今のところ、育児カウンセリングとしてお世話になっていますが、一区切りしたら、自分のケアに重きを置いて、トータルケアの方でもお世話になりたいなと考えたりしています。
心葉のカウンセリングが広がっていくのを陰ながら(でもないですけど・笑)、応援しています。
あさひさん
いつもお世話になります。
育児カウンセリング・女性のケア担当の稲吉 静です。
勇気を出してコメントして下さって、とてもうれしいです。
ありがとうございます!
>子ども達の日々の中で起きている小さなサインにちゃんと気づいて、そうしてケア(?)をしてあげることの大切さ。
そういうことの積み重ねが、子ども達や私たちの生活をより良いものにしていくんだと思いました。
本当におっしゃる通りなんです!
わたしたちが五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)と第六感を通じて何かを知覚すると、その反応は大なり小なりからだとこころ(その時湧いてくる感情や感じる感覚)にあらわれます。
わかりやすいもので言えば、大勢の前に立って緊張すると、からだに力が入ったり、心臓がドキドキしたり、なんとなくお腹が痛いようなゆるいような感じになったり。
どんな形であれ、からだがいつもの自分のからだでないような、変な違和感や居心地の悪さを感じたりするのではないでしょうか。
反対に、好きなものに触れてリラックスすると、からだがふわ~っとゆるんだり、あったかくなったり、眠くなったり。
どんな形であれ、心地よい感覚に包まれるのではないでしょうか。
忙しい日々の中ではなかなか気付きにくかったりしますが、ひとのからだは、刺激ひとつひとつに応じて、こわばったり、ゆるんだりをしていて、それに共に、こころでいろんな感情や感覚を感じています。
その時の環境が何か自分にとってしっくりこない時は、上に書いた緊張の時のように、何だかからだがスムーズに動かしにくかったり、何かよくわからない違和感や居心地の悪さを感覚として感じています(自分では意識できている場合もありますし、意識できていない場合もあります)。
こどもたちは、この、からだとこころのこわばりや違和感、居心地の悪さ(不快な感じ)を、夜泣き(泣く)、ぐずぐずする姿、甘える姿、おねしょ、いろいろな体の症状、登校・登園渋りなどなど、大人が心配したり困ってしまうような形であらわします。
これが、こどもたちが出している“サイン”になります。
これに気付いていくことが、こどもたちのケアの第一歩になります。
(表し方はもう少し器用ですが、大人もいろいろなサインが現れますよね…。そして、大人もこれに気付いてケアしていくことが大切です。)
ただ、「小さなサインにちゃんと気付いていく」というと、いつも気を張ってこどもたちを見ていなければならないと感じてしまうかもしれません。
忙しい毎日の中ではなかなか難しいと感じる方もいるかもしれません。
でも、それほどむずかしく捉える必要はなくて、親の中に沸く「あれ?なんか違う…?」という違和感や引っ掛かりをそのままにしないでちょっと立ち止まってみる。
これが大切になります。
そして、それに対しての対応も、何か難しい特別な対応が必要なのではなくて、「何かあった?」「学校はどう?」「今日は何が楽しかった?」などの声掛けをしたり、ハグをする、頭をなでる、ちょっと隣に座ってみる、一緒にあそんでみるなど、日常の中で何気なくできることがとても意味のあることになります。
どんな形でも、「あなたのことを気にかけているよ」というメッセージを送り続けることが大切になります。
ひとのこころの安定には、この「気にかけてもらっている」という感覚をなんとなくいつも感じ続けることがとても大切になります。
これがあることで「自分は、気にかけてもらえる存在なんだ=自分はここに存在していいんだ=自分は大丈夫」という感覚が宿って貯まっていき、こころの安定につながります。
あさひさんのおっしゃるよう、ヒントは日々の中にたくさんあります。
日常を生きているわたしたちにとっては、日常的でない何か特別なケアが大切なのではなくて、日常の中に落とし込めるケアが大切です。
(もちろん、日常でできるケアに気付いたり、つかんだりするための土台として、特別なケアも大切です。心葉のトータルケアも、その土台作りのお役に立てることを目指していますので、ぜひご活用下さいね。)
心葉では、お会いするすべての方々が、いずれご自身の力で日常に落とし込んでいける、そんなケアを大切にしていきたいと考えています。
応援、本当にありがとうございます。
まさに我が子が小学1年生から2年生になり、これまでと同じように接したいいのか、何か変えたらいいのか、全然分かりませんでした。そして、いつの間にか何となくちょっと厳しくしてしまったりしていたことに気づきました。
私、未熟、とか思いながら、でも気づけて良かったなって思いました。子供も大人も、その時々で成長していくし、一歩一歩でしか進めないから、必要以上に子供も自分も責めたりしなくていいんですね。
不器用ママさん
初めまして!
まずは、お子さんの進級おめでとうございます。
小学校で一番小さくてかわいい1年生が2年生になる時は、これまでと同じように接していればいいのか、“少し大きくなった存在”として接していくのがいいのか、迷いやすい時期ですね。
“大きくなった存在”ということを尊重すると、お子さんを想うがゆえ、自然に少し厳しい接し方になることもあります。
>でも気づけて良かったなって思いました。子供も大人も、その時々で成長していくし、一歩一歩でしか進めないから、必要以上に子供も自分も責めたりしなくていいんですね。
本当におっしゃる通りだと思います。
ブログを読んでいただき、お子さんにとってもご本人にとっても、とても大事な気付きを得られたのだなと感じました。
こんな風に、大切なのは、何かをきっかけに今の自分の状態に気付いて、いい具合に調整していくことです。
不器用ママさんのように、ふとした時に自分でその情報や刺激に出逢い、大切な気付きにつながることもあります。
なかなか見つからなくて、何か悶々とした状態が長引くこともあります。
そんな時は、カウンセリングやさまざまなケアがお役に立てるかもしれません。
ブログの最後にも書きましたが、ひとりで考え続けるのは誰でも不安です。
心葉では、その方にとって大切な、次につながる気付きや体感が生まれるお手伝いをさせていただきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。