のび太くんがなりたかったもの②

(この記事は、僕がカウンセラーになるまでの道のりをボチボチ書いていくシリーズですので、①の続きとなります。ご了承ください)

4月の始めは、静岡といえども肌寒い。

住み慣れた愛知よりは暖かいけど、それでもまだ風は冷たい。

遠いような近いような距離感で、ほんのり雪を被った富士山が見える。

地元から離れ、別の土地に来たことを実感する。

ああ、生まれて初めての1人暮らしが始まるんだ。

最初の3か月は風呂・トイレが共用の古い木造のアパートに住む。

正直言って、ボロボロである。

3か月後に新築されるアパートに入居することを条件に、とりあえずこの3か月は古いのに住んでくれと、大家さんからの説明。その間、家賃も安くしますよと。

全然OKですよ。これまでの『苦難』に比べれば、天国です。

桜が咲いているとは言え、この寒さ。

コタツもまだあった方が良いだろうとの判断は正しく、引っ越し早々に大活躍した。

まさかとは思うが、とても半袖・半ズボンでは過ごせない。

2階建ての古い木造アパート。

というより『寮』と言う方がしっくりくる。

7.5畳くらいのワンルームが1階・2階で合わせて12部屋。

皆、大学1年生だ。

僕は2階の一番奥の角部屋。

玄関で靴を脱いで、部屋までの廊下を歩く。

どの部屋に誰がいるか、廊下から音は筒抜け。

隣の部屋は横浜から来た女の子。

何かドキドキする。

生まれも育ちも皆バラバラ。

方言もバラバラ。だから地方ネタは盛り上がる。

地元の名産や独特な習慣の話。

誰が、何を話しても、皆に受ける。

どれも新鮮で、鉄板ネタになる。

一部屋に皆で集まって、夜な夜な語る。そして、夜は更に冷える。

コタツが嬉しい。暖かさは、人の心を優しくするんだ。

和気あいあいの雰囲気。

が、楽しいのはいいとして、どうも雰囲気に違和感を感じざるを得ない。

概念にないものを認識すると、人は目を丸くする。

そう、部屋でありえないものが目に入って、誰もが二度見をした。

楽しいその輪の中心。

半袖・半ズボンの男が、ドーンと座っているのだ。

皆、心の中でつぶやく。

この寒さだけど・・・。

でも、言葉は飲み込む。

そう彼には、引っ越し早々に皆お世話になっていたのだ。

3月末の引っ越しの日。

アパートの玄関先で彼に会った。

むろん、半袖・半ズボンだ。

明らかに僕にはないものを彼は持っていた。

同じ1年生のはずなのに、既に大家さんからはアパートの説明役(?)に抜擢され、何故か大家さんからではなく、彼からアパートの使い勝手についての説明を受ける。

気さくで、面白い人だ。

だからかどうか分からないが、僕らは自然と馬が合った。

学部は違ったけれど、頭が切れる人で、口も立った。

何と言うか、人が集まると、自然にボスになっちゃうような感じの人というか。

その後、同じサークルに入って、同じバイトもした。

人は異文化に触れたり、新しい刺激を受けると成長する。

浪人を経て、僕はとにかく自分を成長させる機会に飢えていた。

カウンセラーを目指すとは言え、どんな道を歩めばいいか分からなかったし、今の自分の力が弱いことも知っていたから。

ところで、人生というのはやはり苦難の連続である。

肝心の大学の授業はどうかと言えば、だ。

心理学統計法?心理学基礎実験?心理学研究法?

聞いたことも見たことも、食べたこともないような名前の授業。

人を助けるため、と思い描いた、そんな心理学の授業が全くないのだ。

先生もブツブツ独り言のように話す。

予備校の先生は、熱心に、面白く、何かを届けてくれようとしたんだけどな・・。

そうして、段々と気づいてくる。そうか、大学の先生は研究者だ。

授業に熱を込める人もいれば、そうでない人もいる。

熱量のない授業。

よくこんな授業に出席するよな、と思い始め、3か月程過ぎた頃には、あれよあれよと足が遠のく。

「今日は授業何コマ?」

友達から聞かれる。

「今日はパス」

と答える。

正確には「は」ではなく、「も」である。

『授業で使うから』と言われて、学生生協の書店で買った1ページも開かなかった高価な本達は、新しいアパートの部屋で完全にインテリアと化した。


そんな感じで、大学は行ったり、行かなかったり、どちらかと言えば行かなかったり。

折角学びたいものを見つけたのに、肝心のコンテンツがない・・。

だからなのか定かではないが、僕は同世代の仲間と創り出す企画運営のようなものにハマった。

半袖・半ズボンの彼がリーダー。

僕はサブリーダーのようなポジションでいることが多かった。

新築のアパートになり、完全な独り暮らしの部屋に引っ越した後も、僕らは仲が良かった。

若くて、勢いがあって、前向きで、でもそのエネルギーをどこにぶつければいいのか、どう形にすればいいのか、誰も教えてくれないから、皆で創る。

熱に浮かされたように、僕らは活動する。

思い付いたことは全部やる。

やれないとか、分からないではない。やる。

僕は猛烈に成長することに飢えていた。

1人では出来ないことも、志を持った仲間が集まれば、実現していく。

例えば、テレビでニュースが流れる。

日本海で外国のタンカーが座礁して、重油が砂浜に流れ着いている。

海が汚れ、海鳥が油にまみれている。痛々しい。

何とかしなきゃ。

仲間を募って、夜行バスをチャーターし、重油を取り除くボランティアに行く。

ある時は、老人ホームでボランティアで話し相手になってくれる人が欲しいらしいと知る。

行く。

大学祭の催し物。地域の子ども達向けのブースに空きがある。何かイベントをやってくれないか?

やる。

あーでもない、こーでもないと、企画運営について、夜な夜な議論を尽くす。

朝日を浴びて、泥のように眠る。

大学1年生の秋も深まってきた頃、大きなイベントの企画が決まった。

静岡県庁の新聞記者達が仕事をするフロアに行く。

初めての場所で記者会見をする。

「中学・高校・大学といった若い世代が、語り合って、今必要なこと、これから必要なこと、そういう刺激を得て高めあえるようなフェスティバルを開催します!」

半袖・半ズボンが力強く宣言した。

(安心してください。ここではスーツ着てます(笑)。)

様々な新聞に掲載され、県外からもフェスティバルには人が来てくれた。

失敗もあったが、音楽もあり、食べ物もあり、真面目もあり、熱もあり、出会いもあった。

毎年やれたらいいね!誰もがそう思った。


人が人を呼び、うねりのように僕らの背中を押した。

僕らはそれに乗った。

とにかく、そういう日々。

そして、それはそれは楽しくて。未だに思う。

大学の授業受けるよりも、よっぽど自分の血となり、力となったって。

人が集まれば、より多くのことが出来る。

段々と規模も大きくなる。

人の思いも様々になってくる。

人間関係も入り組んでくる。

だけど、僕の力は未熟だ。

熱意をもって皆が動いていたけれど、いつしか方向性がブレ始め、一人二人と脱落し始める。

社会的に注目された企画が段々と回らなくなる。

焦りの中、動く。

それでも追い付かない。

昼夜も関係なく、動く、動く。

話し合いをするほど、心と心が離れていく。

だめだ、だめだ、このままじゃ。

楽しかったことが苦しくなって。

苦しいことが当たり前になって。

何のために動いているのか分からなくなって。

人生は『苦難』の連続である。

同級生が教育実習に向けて死に物狂いなのを横目に見ながら、大学の授業への興味は完全に消え失せ、サークル活動にのめり込んでいた大学2年生の夏。

疲弊していく仲間を繋ぎとめようと奔走し、それでも離れた心は簡単には戻らない。

僕らは成長したかった。

熱を込めた時間を過ごしたかった。ただそれだけだったのに。

振り返ってみれば、わずか1年半ほどだったけど、僕らはかなり大きなムーブメントのようなものを創り出していた。

100メートル走のように、皆全力で駆け抜けた。

でも、人生は100メートル以上続く。

そんなことも、あの時の僕らは知らず。

あんなに熱量のあった半袖・半ズボンの彼も燃え尽きていた。

リーダーを失うと、組織はあっという間に崩壊していく。

そうして気づけば、僕もボロボロになっていた。

成人式よりもこっちが大事と思って、地元には帰らない。

そのくらい熱を入れていた活動が、跡形もなく、仲間共々消えた。


20歳。

僕は心が空っぽになる、ということを経験した。

一人で夜な夜な酒を飲むことを覚えた。

朝まで飲んで、昼間眠って、夕方起きる。

たまに近くの定食屋でバイトする。

え?授業?

何だっけそれ。

部屋の片隅では、大学に入って初めて買ったエレキギターが埃を被っている。

バンドも一応やってはいたけれど、練習も中途半端な、なんちゃってギタリスト。

心の支えはU2の音楽だけだった。

『Where the streets have no name』。

まだ名前の付いていない所。約束の地へ。

成長したかった、ただそれだけなのに、僕はどこへ来てしまったんだろう。

その夏、あんなに活動的だった僕の記憶がほぼない。

抜け殻になると、人はそうなるんだと身をもって知る。

何だかよく分からない大きな夢の尻尾をかろうじて掴んで。

自分の使命は何だろうかと思いを馳せる。

酒を飲んでは、U2のライブ映像を見て、夜はよく一人泣いた。

季節は流れて。

秋になったが特にすることがない(←いい加減授業出ろ・笑)。

でも時間だけはあった僕は、隣の大学の図書館にしばしばいた。

ん?何で自分の大学の図書館じゃないんだ?

という、正しい最もな突っ込みに丁寧に答えるとすると。

その大学は出来たばかりで綺麗だった。

図書館にも良い本を厳選して置いているらしいという噂があった。

行ってみると、果たして噂は本当であった。

無料で良い本を読める。これは良いではないか。

心理学の授業には出る気が全くなかったが、まだ心理学への興味はかろうじてあるのだ。

そしてそこは女子が多かった。

というか、ほぼほぼ女子だった。

そういう興味もあるお年頃なのだ。

事実を丁寧に、正確に説明しているだけである。

決してよこしまな考えがあったわけではない。

男子まみれの母校ではなく、たまには女子まみれの中で、本にまみれてみようという崇高な考え、信念を持っての行動である。

学生にとって大切なことは何か、そう言わずもがな勉学である。学業である。

当たり前である。

誰が何と言おうと、まみれるのだ。

授業に出てなくたって、ビシッと言ってやるのだ。

今日も崇高な意志を持って、意気揚々と図書館でまみれようではないか!

という、抑えようにも抑えがたい若々しい気持ちはありつつ、確かに、本は良いものが揃っていた。

専門書の値段は結構高い。

学生ではとても沢山は買えない。

だから、これはありがたい。

しばし入りびたり、お昼は近くの弁当屋さんでから揚げ弁当を頼む。

店のおばちゃんは、「サービスね」と言って、いつもから揚げを一つ多く入れてくれた。

男子で良かった、と思える瞬間である。

そして女子率が高いと、何故か背筋が伸びて、読書に集中出来たのだ。

男という生物は不思議なもの(アホ)である。

が、そのアホな考えは、ある本を手にしたことによって粉々に打ち砕かれた。

『人間と象徴』(著:カール・グスタフ・ユング)。

僕の人生のターニングポイント。

衝撃と答え。

求めていた心理学の道がそこにはあった。

図書館で分厚い本を読み始めて、脳が興奮しているのが分かった。

身体の奥の方が熱くなる。

何だ!?この分野は。

無意識?夢分析?原型?象徴?

これ、図書館じゃなくて、自分の部屋でじっくり読みたい!

こうなったら、動くのである。

むろん正々堂々と。

まずは、図書を借りるためのカードを手に入れなければならない。

当たり前だけど、他大学の学生はそんなものはもらえない。

そりゃそうだ。

うむむ、と考え、心理学の自主研究会に参加させてもらう。

男子学生は珍しいので、先生はすぐに気に入ってくれる。仲良くもなる。

すると先生が「君は勉強熱心だねぇ」と感心して言う。

「そうなんです、へへ」と僕は純粋な眼で言う。

「もっと勉強したいんですよ。へへ」と僕はたたみかけて言う。

感銘を受けて、「よしよし、じゃあ君は特例だ」と先生は言う。

真心を込めて、「へへへ」と僕は言う。

そうして、特例としてその大学の図書館利用カードを手に入れたのである、へへ。

と、正々堂々と力業を駆使し、上下巻を借り、ダッシュで部屋に帰る。

僕の中で止まっていた心理学の時計が再び動き出す。


秋の夜は過ごしやすい。

部屋で一人、読み終える。

カウンセラーってなんだろうか。

何によって人は癒されていくのか。

まだ答えは分からないけど、人は自分の心を越えた何かと繋がって、そうして癒されていく。

本当の癒しに繋がる答えが、無意識の世界にはあるかもしれない。

『じゃあ大学院に行く』。

読み終えて、そう決めるまで秒。

そう思ったら、くそつまらんと思った授業にも出られるようになった。

大きな目標が見つかると、こまごまとした嫌なことは、ただの通過点となった。

そうして僕は、人の心の無意識を探求していくことになる。

U2の音楽は、そんな僕を後押しした。

『Where the streets have no name』。

まだ名前の付いていない所。

約束の地へ。

何だかまだ得体の知れない大きな夢。

夜な夜なU2のドキュメンタリー映画『RATTLE AND HUM』を観る。

良かった、また自分の道を見つけることが出来た。

自分の使命は何だろうかと思いを馳せる。

でも、一旦燃え尽きた傷も抱えていて、仲間を失った癒されない心もあって・・。

僕らは、これから一体どこに行くんだろう。

大切なものを、ちゃんと大切に出来るんだろうか。

船出の前日のような、まだ見ぬ新しい地を夢見るような。

得たものと失ったものを心の天秤にかけてみる。

動いて動いて、止まらない。

止まる気配すらない。

いや、今は止まらなくたっていい。

人生は『苦難』の連続である。

苦しいことはいっぱいある。

きっとこれからもいっぱいあるだろう。

が、もしかすると人生は『挑戦』の連続でもあるかもしれない。

『Where the streets have no name』の冒頭。

『ケ』から『ハレ』へ。

暗闇から光へ。

絶望の中から希望を叫ぶ。

まだ届かない何かに向かって、手を伸ばす。

大丈夫、これからだ。

そう思える。

圧巻のライブ。

僕は『ケガレ』てしまった。

でも、U2のボノやエッジのように、いつか誰かを『ハレ』に導きたい。

同時に、そんな力を持つことが出来るんだろうか、とも思う。

不安と夢と。

答えのない夜。

誰も本当のことを教えてはくれない。

エッジがギターを鳴らし、ボノがステージを駆ける。

胸の奥が熱くなって、何だか泣けて泣けて仕方がない。

秋が深まる頃、傷を抱えたまま、それでも、前へ前へと、僕は進んだ。

のび太くんがなりたかったもの①

先日、日本公認心理師学会で『公認心理師はいかに自分のバージョンアップをはかるのか』というテーマで発表したことをまとめようと思って、一度は記事にしてみたけど個人的に気に入らず、ボツ原稿となりまして(笑)。

でも何かの形にはしたいと思って。うむむ、と考えているうちに、ああそうか、ここは自分の責任で書く場なので、学会発表した内容にこだわらず、自分の思った通りに内から湧いてくることを書きたいように書けばいいのか、と気づきました。

ということで、僕が心理学を学んできてカウンセラーになって、今に至るまでの道のり(?)を、これから思うままに書いていこうと思います。多分長くなるのでちょっとずつ書きますね。

お役立ち情報とかは全くない(汗)ので、そのつもりで読んでください。

さてさて、話をまず大学受験に遡ってみることにする。

え、そこから(笑)?

そしていつ?

そうだな。スピッツが『ロビンソン』をヒットさせブレイクしたその年に、大学受験に失敗した僕は浪人生となった。

桜の舞う4月、名古屋の某予備校の5階の席に座っていた。

知り合いが誰もいないその教室。

とにかく花粉症の症状が今よりも辛くて、鼻水が出まくるので鼻をかみ過ぎて鼻の下がガビガビに。いっそ鼻をもいで洗ってやろうかと、本気で思った。書くまでもないが、当然のごとく目も痒みで大分やられていた。

何で大学に行くのか。

あまりその意味もよく分かっておらず。

ポツンと座って、窓の外を眺める。

高校生の時、数学がかろうじて好きだったから、経済学部?経営学部?とか考えていたけど、明確な目標だったわけでもなく。

何がやりたいんだか、何を学びたいんだか。

どう動けばいいのか、これからどこに向かえばいいのか。

誰も答えを知らない。教えてなどくれない。

それでも、志望校を紙に書く。適当に。

現役で大学に受かった友人からは時々連絡が来た。高3の時に付き合っていた彼女からも、時々手紙が届いた。

文末にはいつも『かしこ』と書いてある。

可愛い丸い文字を読んで、ホッとして、胸の奥が疼いて、切ないような懐かしいような気持ちになる。

皆、僕には気を遣ってくれる。ありがたい。

でも、隠していても『大学って楽しい』ってのが、漏れ出て伝わってくる。

いいなー。

今、僕には何にもない。

空っぽ。

朝、名古屋駅南口を出て、見上げた空。澄み渡った痛いくらいの青。

ああ、今日も授業が詰まっている。


ある時、予備校の先生がふと言った。「今の君たちにはここに何が入る?」

『人生は〇〇の連続である』

この〇〇には何が入っても良いらしい。

言葉を入れてみると、その時の自分の状態が分かるというもの。

その先生は、「僕は『選択』という言葉が入るかな」と言った。

ふーん、なるほど。そうなんだ。

僕にはサラッと『苦難』という言葉が頭に浮かんでいた。

暗っ。

こりゃうっかり人には言えないな(苦笑)。

それでも春から夏へ、時間は容赦なく過ぎる。時折、模擬試験を受ける。

波はあるけれど、そこそこの成績。

先生も褒めてくれる。

でも、僕には何もない。

将来、どこに向かっていくのだろう。

当時、ロビンソンが僕の頭の中ではよく流れていた。

『新しい季節は なぜかせつない日々で 河原の道を自転車で 走る君を追いかけた』

自分の事すらよく分からないや。

このままやりたいことも見つからず、何となく大学に行って、何となく働くんだろうか。

人間て何だろうか。何のために生きているんだろうか。

結局、人は死ぬじゃないか。

バカバカしい。頑張る先も見えてないのに走ってる。

時間や周りに流されて。

こうやって人は埋もれていくのかもしれないな・・。

ただただ空虚感。

予備校の帰りの電車から見た三河の田んぼの風景。

風になびく稲穂。遠くの山々。穏やかに流れる川。豊かな緑。

黙々と列車は走る。良いも悪いもない。ただ黙々と。

その時だけは、僕は癒された。

そうして、気づけば名古屋は殺人的な蒸し暑い夏に。

一方で、予備校のギンギンに冷えた教室。

暑さから避難したその部屋で、大学の学部一覧のようなリストを眺める。

ふーん、大学には色んな学部・学科があるんだな・・。

経済学部とか経営学部とか考えてたけど、他の方向性もありなのかな。

いやでも、受験科目の構成が変わると、また大変だしな。うーん。ブツブツ・・。

何て考えているうちに、ふと、これまで見たことのない学科が目に入った。

『心理学科?・・・心理学?』。

ん?なんだ!?

シンリガク?

心理・・学!?

心を・・・学ぶ??

なんだそれ?

脳内にビビッと電気が走る。

冷えた教室から暑い外に出る。

でも、暑さは感じない。

本屋に向かう。とにかく情報だ、情報だ。

欲しい、欲しい、情報が欲しい。

苦しくて、先が見えなくて。

どう生きればいいのか、何を目指せばいいのか。

じわじわと沼にハマっていくような日々。

それでも誰かが救ってくれるわけでもない。

でも。

何かが『カチッ』とはまったような。

暗いトンネルの先に光が見えたような。

とにかく説明のつかない高揚した感じ。

真夏の夜。夢中になって、それを調べた。

どうやら心理学という学問があって、その先に臨床心理士という職業があるらしいと知る。

『リンショウ・・・シンリシ!?』。

心という謎。

自分のことをもっと知りたくて、探求したくて。

何かに飢えていた。

どこを目指せばいいのか分からないから、動きたくても動き出せない。

そうしているうちに、動くことすら嫌になって。

ああもう、めんどくさ。めんどくさ。

人生は苦難の連続だ。

と思ってた。

でも、もしかしたら、もしかしたら見つけたのかもしれない。

大切なモノを。

これから探求していくモノを。

真夏の夜、僕は進路をロックオンした。


季節は秋から冬へ。

スイッチが入った僕は、人生で最も勉強した時期を過ごす。

朝から晩まで予備校。勉強して、勉強して、お昼食べて、勉強して、勉強して、勉強する。

今じゃとても出来ない。

途中、スランプの時期はもちろんあった。

何だか焦りが先に立つ。不安で心配でたまらなくなって、初めてストレスが理由で熱を出した。

現役生が伸びてくる時期。浪人生は成績の伸びが鈍る。下手をすると点数が下がる。

人は弱い。

どれだけ意志を強く持ったとして、すぐにへこたれる。

歯を食いしばって勉強をする。

どうやら心理学は人気らしく、同じ大学の他の学科と比べ、心理学科は偏差値が高くなるのだ。

そかー、ま、いいさいいさ。

どうせ人生は『苦難』の連続だ。

知ってる知ってるそんなの、はははは。

と訳の分からない考えで自分の不安を紛らわせる。

新しい年を迎える。

苦手だった物理を徹底的に鍛え、センター試験(今で言う大学入学共通テスト)では奇跡が起きる。

得意科目の地理は順調。

英語、数学、国語もまずまずだ。

予備校の先生からは、「志望大学に受かりそうな人に前もって内々にお願いしているんだけど」と打診がきた。

受かったら新聞の予備校の広告に顔写真を掲載させてもらっても良いか?とのこと。

もちろんOKだ。

受かるつもりだし、そのつもりでやってる。

いざ、二次試験(個別試験)。

そして、受験というのは水物。

どれだけ準備をしても、想定外の事態は起きる。

望んだ結果にはならなかった。

人にはそれぞれ夢があって。

それでも人生は『苦難』の連続だ。

全部が全部、叶うわけじゃない。

でも、ぶち当たった壁の前で嘆くのは、もうやめだ。

実際のところ、大学がどこか何て、どうでもいい。

本当に大切なのは、自分がどうあるか。

何を見つけ、何を残し、何を伝えていくか、だ。

僕は目指す。この道の先を。

誰かが悩んで、先のことが見えなくなったとき、そんな時にどうしたら良いのか。

その答えが、心理学にはある。

かもしれない・・。

あの『苦難』の中にいた時に、欲しかったもの。

それを誰かにあげられるような、そんな人になりたい。

この気持ち、無くさないように。

決して無くさないように。

僕は弱い。とても弱い。

すぐに逃げたくなる。

でも、僕には使命がある。もう決めたんだ。

だから強い。

まだ自信はないけど、そうありたい。

3月、住み慣れた故郷を離れる。

もうここには戻らないかもしれない、とどこかで思う。

旅立ち。

夢。

未来。

高速道路を降りて、しばらくすると富士山が見えてくる。

そのまま富士山の見える方角に向かって走る。大きいな・・。

ああ、自分の存在って小さいんだな・・。

そうかそうか。

僕はまだ人生のスタートラインにも立っていないんだ。

ただただワクワクして、希望に燃えてはいるけれど。

まだ力なんてないし、親の脛をかじっていかなければ生きていけないし、先の事なんて分からないけど、いつかは自分で道を創るんだ。

4月、思いだけは力強く、着慣れていないスーツを着た僕は、静岡にいた。

(2話に続く・・何か、長くなりそう・笑)

新しい学び

オフィスを開室して、早いもので7年目に入っています。

ホント、ここまで、あっという間でした。

毎年毎年、時間と労力をかけて色々な心理療法を学んで、日々の臨床経験も沢山積んできて、カウンセラーとしてのあり方や倫理観も徐々に確立されてきました。

そうなると自信も付いてきて、やれることも実際に増えて、以前なら助けられなかった人も救えるようになって。

昨年、無料のオンライン講座を始めて、支援者向けのカウンセラー養成講座も始めて、自分のキャリアも、いよいよ臨床の知恵を伝達していくステップに入ってきたな、と思っていました。

こんな風に書くと、すごく順風満帆じゃないかと思われるかもしれませんが、その反面で実はとても悩んでいました。

表には出してないですけど。

このままでいいのかな、これで本当にいいのかな、って。

ブログの更新も最近していませんが、書いてはボツにして、書いてはボツにして、書いてはボツにして、を延々と繰り返していて。

密かなスランプ状態。

何でだろう・・。

自分の中で響くものが減っている?

生み出せるものが減っている?

自分の心が満たされていない?

エネルギー不足?

自分の器が一杯になってきた?

うん、どれも当てはまる。

これまで、ずっと、ずっと探してきて。

本当の癒しって何なのか、とか。頑張る力ってどうやって手に入れるのか、とか。

どうやったら人は強くなれるのか、とか。

僕らは一人でいると、超えられない壁にすぐにぶち当たる。

寂しくなったり、悲しくなったり、過去を悔やんだり。

風にあおられて、雨に降られて、埃にまみれて。

歩みを止めたくなっても、それでも歩いていかなきゃいけない現実。

どうやってそれを乗り越えたら良いのか、僕自身の内面の答えも散々探して。

静岡には、ちゃんとカウンセリングする所が少ないから、自分が何とかしなきゃと思って、頑張ってきた。

カウンセラーとして、自立して、稼いで、家族を養って。

開業前には、そんなモデルとなる人はどこを探してもいなかった。

教えてくれる人なんていなかったから、必死で自分を磨いて。そう、ひたすら磨くしかなくて。

開業してからも、失敗や後悔も沢山あって、その度に打ちのめされて。

至らない自分に失望し、それでも誰かの期待に応えたくて。

折れそうになる心を奮い立たせて、歯を食いしばって独り立ち上がる。

その頑張りもあって、自分の中で大切なもの(心葉)が固まってきたけど、それを大事にしたいと思うあまりに、いつの間にかそれに縛られて。

本当は何がしたかったのだろう・・。

元々あったはずのピュアな気持ち。

ああそうか。そうだね。

僕は、カウンセリングがしたいんじゃなくて、ただ人を良くしたいんだった。

オフィスの運営をしたいんじゃなくて、ただ世の中を良くしたいんだった。

辛い思いをしている人がいたら、ただただ助けたかった。

それだけで十分だった。

現実的にやらなければならないことが沢山あって、そういうものばかりを見ていたら、自分の心が曇ってきてしまっていた。

子どもの頃、僕は冒険が大好きでした。

木の枝を剣に見立てて、敵と戦い、草むらをはらい、道を創って、宝物を探す。

例え、そこに何かが無くたっていい。何も無くても、そこにはワクワクがあった。

僕の生き方の原点。

毎日が輝いて、楽しくて、次の冒険を探す。

もしかすると、誰も見たことがないような宝物が見つかるかもしれない。

誰もが喜んでくれる宝物が見つかるかもしれない。

そうか、そうか。そうだったね。

じゃあ、決まりだ。

カウンセラーっていう職業をしているから、臨床心理士とか公認心理師とか資格があるから、自分じゃなくなってきちゃったんだ。

専門家の立場や枠組みはとても大切。だけど、自分の心が縛られてしまうことがある。

だからね、今ココで、決めました。

カウンセラーを辞めます。

ええっ!?

マジで!?

どどーん。

でも、安心してくださいね。仕事としてのカウンセラーはこれまで通り、何ら変わりなくやります(だから表面上は、何も変わらないと思います)。

あくまでも、僕の中で、カウンセラーというアイデンティティを捨てた、ということですので。

書いて、ストンと何かが腑に落ちた気がします。

そんな訳で、カウンセラーというアイデンティティを捨てて、今年から僕は僕が必要と思った学びをしていくことにしました。

もちろん結果として、仕事であるカウンセリングの質を上げることになることを願って、です。

何を学ぶのか。色んなことが頭に浮かんでいます。

これは凄いことになりそう。

今、自分が思い描いている学びが出来たら、その人の人生を丸ごと救ってあげられるような、そんな臨床が出来るようになるかもしれない。

凄くワクワクする。

それでいて背筋が伸びて、身も氣持ちもピシッと引き締まるような。

新しい未開の土地で冒険を始めるような。

いつか僕の辿った道のりを、誰かが知ることになるかもしれない。

降りやまない雨はない。

そう、僕もそうだし、あなたも同じ。

命は限られているから、僕は進む。

この先、次の世代のために、より良い世の中を残してあげたい。

心が活き活きとして、誰かが誰かをソッと支えてあげる、そんな社会になっていくと良いな。

そんな未来も思いながら、僕は次のステージに向かうことにしました。

今、心葉のカウンセリングに来ていただいている方々や、これから先の未来にカウンセリングに来ていただく方達のためにも、大切な宝物を見つけたいと思います。

トラウマを何とかして欲しいんじゃないんです、私を何とかして欲しいんです。

って、直接言われたことはないですけど(笑)。

でも、カウンセリングをしていると、そういう事なんだろうな、と思うことが多々あります。

カウンセリングを受けてみようと思ったきっかけとして、例えば、パニック発作的なこと、不安症状、抑うつ感、強迫観念(頭ではそんなことしなくて良いと分かっているのに、ひたすら確認してしまったり)、のような症状に困って、ということがあります。

それから、自分に自信が持てない、人前で緊張してしまう、自己肯定感が低い、希望が持てない、など心の中で人知れず苦しんでいる場合もあります。

また、発達障害の特性で困っていたり、最近注目されているHSPのような特性があって生きにくくなっている人もいたり。

そして、幼少期のトラウマや愛着の再形成が必要な場合もあったり。

でも、実際にカウンセリングに来られた時、自分の何が問題なのか、この辛さはどこからきているのか、どうなりたいのか、そういう事がはっきり分かっている人ばかりではありません。

まず、そこから一緒に紐解いていくことも多いです。

語られることの背景にある事を、カウンセリングに来られた方が自覚するより前に察して、救っていくこと(このことは、別のブログでも書きましたが、そして自分でも常々振り返って反省しなければいけないことですね・・)

これが出来ないと、目の前の見えていることばかりどうにかしようとして根本解決に結びつかず、カウンセリングに来られた方は、傷ついたり、疲弊してしまったりします。

ですので、自分がしているカウンセリングの大切な一面として、新しい心理療法や知識を常にアップデートして、期待に応え続けられるよう努力をしています。

でも、それらをただカウンセリングに適用するだけでは、足りないと感じていて。

時には、これまでの経験からくる直感やその時の思い付きで、思い切って独自のことをしたりもします。ここは専門家として、というより、自分の性格によるところも大きいのかもしれません。

その人にとって、必要な事だと感じたら、それをやらないではいられない性分(笑)。

そうやって臨床をやっている時、不思議とカウンセリングがスムーズに進んで、時間が経つのがあっという間で、クライエントさんと自分の間に流れる関係も心地良くて。

ああ、これが癒しの時間なんだな、と思う瞬間。

カウンセリングに来られた方からすると、これが『私を何とかしてもらった』という感覚につながるのではと思います。

とても良い心理療法は世の中に沢山あるし、これからもどんどん開発されていくし、それらを学び続けるんだろうけど、今ココでの癒しの時間に辿り着けるとは限らない。

凄く大切な、このカウンセリングでのひと時、少しでも多くの人達と育んでいきたいと思います。

心葉の由来(こんな時だからこそ考えてみた・・)

相変わらず、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が続いていますね。

先のブログの記事で書いていますが、当オフィスではその影響を考慮し、ウェブカメラを使用した遠隔カウンセリングを開始しました。

手探りで準備してきましたが、ようやく何とか軌道に乗ったかなという感じです。

この状況で、在宅でお仕事をすることになった方もいらっしゃると思いますが、意外とそれで何とかなる面もあったり、もしかするとこれまでの働き方を見直す必要性が出てくるかもしれませんね。

オフィスでの対面カウンセリングと遠隔でのカウンセリングを比べてみると、割と同じように出来るんだなという感覚があり、相談者様が自宅などで受けられる負担感の少なさ、はメリットかなと思います。

ただ、セラピーの微妙な空気感は少し生み出しにくいですし、いつものお茶もお出し出来ません(笑)。

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原稿が掲載されました【2019/1/14投稿】

と言っても、書店で買えるようなメジャーなものではなく、

「産業ストレス研究」という学術雑誌です。

日本産業ストレス学会が発行しているもので、昨年度学会で

座長を務めた時の報告書が日の目を見ました。

ルックス的にはこんな感じ。

この目次は2ページに渡って続くのですが、たまたま1ページ目の一番下にちょこんと(笑)。

内容はこんな感じで掲載されています。

アイデンティティは、心理臨床家なんですが、

研究者の端くれでもありますので、こうして結果が形に残ることは

嬉しいものですね。

臨床の方も益々磨きをかけていきたいと思います。

公認心理師【2018/12/10投稿】

さて、タイトルについてですが。

無事、合格してます!

報告が遅くなりましたが、ホッとしてます。

登録申請が終わったら、プロフィールに『公認心理師』の文字が加わります。

自己紹介で何て名乗ろうかな・・。

いずれにせよ、気を引き締めて臨床に励みたいと思います。

心理カウンセラーという仕事【2018/4/2投稿】

今年度、公認心理師という国家資格が、日本にようやく誕生します。

これまで何度も心理職の国家資格化の話は出でいたんですが、政権交代とかで、サラッと法案が流れてしまったり、歴史的には色々あったんです。

で、この資格は臨床心理士資格を持っている人も、試験を受けて取得しないといけないので、秋の試験に向けて自分も久々に受験勉強をすることになります。講習も受けたりね・・。

いやしかし、初めて行われる試験って何勉強したらいいんでしょうね。一応、試験範囲は公表されているけれど、大分心がざわつきます・・。勉強する時間とか、実際どのくらい取れるのかな・・。

公認心理師は、臨床心理士よりも門戸が広い資格となるため、これから色んな立場の公認心理師が誕生することになりますが、その質をめぐって、今後も色々と議論がされていくのだろうと思います。

そして取得できたら、自己紹介で何て言うんだろう・・・。

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日本産業ストレス学会【2017/12/11投稿】

12月8日~10日まで、静岡市のグランシップで開催されていた日本産業ストレス学会及び研修会に参加してきました。

参加と言っても、今回は企画運営委員としての参加でしたので、1年半以上前からミーティングを重ね、裏方の仕事も含め貴重な経験をさせていただきました。

個人的に初めて座長をさせていただく機会もいただき、しかも学会初日のメインホールのトップバッターでしたのでどうなることかと思いましたが、これはこれで無事役割を果たすことができ、ホッとしました。

座長を務めたのはワークショップで、タイトルは『職場のセルフケア研修をより魅力的にするために、私たちには何ができるだろうか」としました。

前職の会社で働いていた頃、セルフケア研修をすると持ち帰ってやってくれる人もいれば、その場限りで流してしまう人もいて、どうやったらもっと興味を持ってくれるのか、ということを常々思っていました。自分の中で答えが出せそうになかったため、今回経験豊富なお二人の先生方をお呼びして、それぞれ『睡眠衛生教育』と『マインドフルネス』をテーマとして、教育研修の進め方の工夫などをお話してもらいました。

詳細は割愛しますが、参加者の方々からの質問も多数出て、反響も良く、企画が上手くいったようで、本当に良かったです。

この間、オフィスを休みにさせていただきましたので、電話・メール対応が滞り、ご迷惑をおかけしましたが、どうかご理解ください。

そして、昨日は学会後の研修会の講師として話をしてきました。

『明日から使える心理のスキル』というお題でお話しましたが、スキルを使いこなすためにはやり慣れていくことが必要ですが、今回は知識の種まきは出来たかなと思います。

興味を持ってくれた方が沢山いるといいのですが・・。

ということで、一つ大きな仕事が終わりましたので、またオフィスの仕事にしばらく専念したいと思います。

1周年を迎えました【2017/11/5投稿】

ようやくと言うか、早くもと言うか。

昨年11月1日にカウンセリングオフィス心葉を開室しましたが、何とか無事1周年を迎えることができました。

良かった。ホント良かった。

家族の支えや色々な人達からのサポートもあって、そしてまた奇跡的な縁も色々とあって、一先ず自分も健康でいられています。

ありがたいことですね。

個人的にとっても濃かったこの1年、カウンセリングだけでなく、各方面から研修や講演の依頼をいただくこともあり、メンタルヘルスへの関心が世間的にもますます高まっているように思います。

中には業務多忙によりお受けできなかった仕事もありますが、時にシビアな(専門家でも困るような)仕事が来たとしても頑張ってお受けするスタンスは変えずに、これからも臨床に励んでいきたいです。