って、直接言われたことはないですけど(笑)。
でも、カウンセリングをしていると、そういう事なんだろうな、と思うことが多々あります。
カウンセリングを受けてみようと思ったきっかけとして、例えば、パニック発作的なこと、不安症状、抑うつ感、強迫観念(頭ではそんなことしなくて良いと分かっているのに、ひたすら確認してしまったり)、のような症状に困って、ということがあります。
それから、自分に自信が持てない、人前で緊張してしまう、自己肯定感が低い、希望が持てない、など心の中で人知れず苦しんでいる場合もあります。
また、発達障害の特性で困っていたり、最近注目されているHSPのような特性があって生きにくくなっている人もいたり。
そして、幼少期のトラウマや愛着の再形成が必要な場合もあったり。
でも、実際にカウンセリングに来られた時、自分の何が問題なのか、この辛さはどこからきているのか、どうなりたいのか、そういう事がはっきり分かっている人ばかりではありません。
まず、そこから一緒に紐解いていくことも多いです。
語られることの背景にある事を、カウンセリングに来られた方が自覚するより前に察して、救っていくこと(このことは、別のブログでも書きましたが、そして自分でも常々振り返って反省しなければいけないことですね・・)
これが出来ないと、目の前の見えていることばかりどうにかしようとして根本解決に結びつかず、カウンセリングに来られた方は、傷ついたり、疲弊してしまったりします。
ですので、自分がしているカウンセリングの大切な一面として、新しい心理療法や知識を常にアップデートして、期待に応え続けられるよう努力をしています。
でも、それらをただカウンセリングに適用するだけでは、足りないと感じていて。
時には、これまでの経験からくる直感やその時の思い付きで、思い切って独自のことをしたりもします。ここは専門家として、というより、自分の性格によるところも大きいのかもしれません。
その人にとって、必要な事だと感じたら、それをやらないではいられない性分(笑)。
そうやって臨床をやっている時、不思議とカウンセリングがスムーズに進んで、時間が経つのがあっという間で、クライエントさんと自分の間に流れる関係も心地良くて。
ああ、これが癒しの時間なんだな、と思う瞬間。
カウンセリングに来られた方からすると、これが『私を何とかしてもらった』という感覚につながるのではと思います。
とても良い心理療法は世の中に沢山あるし、これからもどんどん開発されていくし、それらを学び続けるんだろうけど、今ココでの癒しの時間に辿り着けるとは限らない。
凄く大切な、このカウンセリングでのひと時、少しでも多くの人達と育んでいきたいと思います。
いつもお世話になっている者です。
(経済的なこともあり、月1回くらいで、2年ほどになるでしょうか…)
もともと私の抱えていた問題は、とても重いものだと思っていたので、この2年でここまで楽になるとは思ってもいませんでした。
「ああ、これが癒しの時間なんだな、と思う瞬間。」
心葉さんのカウンセリングの中で私も経験しました。
こうやって言葉にしてしまうと、安っぽいというか、嘘っぽいくなってしまってうまく伝えにくいのですが、心からそう思えた感覚が残っています。そして、それが今の私の支えになっています。
何とか楽になりたくて、いくつかカウンセリングを受けてきましたが(傾聴的だけど結果的に何も変わらないもの、その他認知行動療法やスピリチュアル系など)心葉さんのカウンセリングは、何か一つの形式なものにとらわれるのではなく、目の前の人を(私のそのままを)良く見て感じて対話してくれている感じがしています。
この事は、日常の中では、なかなか感じられない瞬間だと思います。
HPに書いてあるようにまさに先生の手の内(と書くと上から目線でしょうか…)と経験からくる「感覚」を混ぜ合わせた「オーダーメイド」の感じです。
困っている人、治すべき人 としてではなく、ひとりの人として向き合ってもらっている感覚だけで、私にとっては「癒しの時間」になっている気がします。
何かの〇〇療法とかではなく、あの場にいられることが癒しなのではないかと、つくづく思っています。
まだ私の問題は、先が長いものだと自覚しています。
でも、ここならば大丈夫と思えています。
人生の中で、ここに来れた事、本当に感謝の気持ちで一杯ですし、言葉では足りない思いで溢れています…。
これからもよろしくお願いします。
>金木犀さん
コメントありがとうございます。
コロナ禍の中、色々と大変でしたね。
そんな中、とても頑張られていると思います。
カウンセリングだけの力ではなく、金木犀さん自身の変わろうとする意欲やセルフケアの継続、また自身の問題に逃げずに向き合おうとする姿勢、などなど、全てが良い方向への後押しをしていると感じます。
月1回で果たしてどのくらいの変化・改善をしていくのか、カウンセリングを始めた当初は見通しも持てず、不安な日々だったことと思いますが、『千里の道も一歩から』とはよく言ったもので、ここまで二人三脚で歩いてこれましたね。
私としても、こういう経験はとても嬉しくて、カウンセリングが終了した後も、私の記憶の中に一生残り続けるのだろうな、と思いますし、カウンセラーとして成長させてもらっている瞬間なのでしょう・・。
症状や問題点を改善するためのサポートはもちろんしますが、一緒に人生のある時点を歩む仲間として、その時間を共有させていただいていることに感謝の気持ちで一杯です。
今後、また険しい山があるかも知れませんが、登頂困難な山でも、シェルパのように寄り添って支えていきますね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
常に臨床経験にて人の心の面について先端を目指す先生との対話やブログを拝見し、私の中で…
ヘーゲルの名言
「我々が歴史から学ぶことは、人間は決して歴史から学ばないということだ。」
を想起しました。
心のこともそうなんじゃないでしょうか。
ヘーゲル以外にも孟子を始めとする数百年前の思想家の言葉が現代人の心に刺さるのは、人の心が進化しておらず文明に取り残されてしまっている証拠だと思います。
第三次世界大戦が起きないにしても、トラウムを抱えてしまう社会環境は戦争をしているのと何ら変わりない気すらして来ます。
そして、同時に今の自分のズルイ処だなと感じているのは帰着点を開示しないままでありながら
「楽(ラク)して楽(ラク)になりたい」
という”ズルさ”です。
金木犀さんの表現をお借りすれば『まさに先生の手の内』で、その辺りついては先生に回答を頂きましたが
兎角…
「こんなに毎日心労しているのだから、心を楽(ラク)にする時くらい、楽(ラク)な方法で…。」
という姿勢でカウンセリングに臨む自分に反省点を感じます。
そういう中に於いても、心が限界の時にそこから踏ん張って頑張って心をなんとか…なんて、とても出来ない…世の中の人は、そんなに優しくないです。
叱咤叱責されて終わりです。
だからこそ具体的な情報に後ろ盾されたお話なども通して、心葉のオフィスは元より展開されている業務の中で先生とお会いして話す時間はそんな重荷を一旦下ろさせてくれるオアシス的な場所になっています。
>やましたさん
コメントありがとうございます。
いつも的確な視点で、また読んでくださる方々の気持ちも代弁しながら、私の掻きたい所に届くように(!)コメントしてくださって、とても嬉しいです。
>『楽(ラク)して楽(ラク)になりたい』
この思いは、誰しもの心にあるものだと思いますし、日々辛い状況にあれば、そこに流れていきたくなるのはむしろ当然のことですね。
そんなお気持ちも含めて来室していただいて、カウンセリングを経て、来た時とは気持ちが入れ替わって帰っていく。
その繰り返しをしていく中で、新しい芽が出る人もいれば、土壌を変えなければループから抜けられないと気付く人もいれば、自分に対して優しくする術を見つけていく人もおられます。
一旦、心の重荷を下して、時には問題を棚上げして、身軽になってみる。
そうして、次の一歩を見つめてみる。
泥沼のような日常や先行きの見えない絶望的な状況の中でも、カウンセラーは必ず明かりを照らします。
時にはカウンセラーが一歩先を歩いてみて、道を作ってあげることもします(一般的なカウンセラーさんはしないですけど、私はするかな、という感じですが・・)。
>『先生の手の内で』
と書いてくださって、正しいただ一つの答えがカウンセリングにあるわけでもない中で、日々自分を振り返りながら、専門家としてどうあるべきか知恵を絞って生きていると、そう感じていただけた瞬間があることに感謝の気持ちで一杯になります。
普通の人間ですので、カウンセリングの進め方、カウンセラーのあり方の選択を間違えることも、きっとあるでしょうし、未熟な部分も多々あります。
それでも誰かの『オアシス』であり続けることが出来れば、こんなに嬉しいことはありません。
決して枯れない、湧き出続ける泉としてあり続けられるよう、新しいものを学び、至らぬ点は反省し、必要のないエゴは手放し、この身を全うしていきたいなと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
トラウマとか発達障害とか不安神経症とか。
この情報過多な世の中、少し調べれば、自分の状態がどんな括りの中にあるのかだいたいわかる。
でも、自分でそれがわかっても、周りからいろいろ言われても、たとえば病名がついてひとまず薬が出たとしても、いつも根本解決には至らない気がする。
結局じゃあどうしたらいいかがわからない。
まさに困っているのは、日常をうまく生きていけている気がしない自分自身の存在。
その根っこの部分の癒しが得られるかもしれないということなのでしょうか?
>Kさん
初めまして、でしょうか。
コメントありがとうございます!
色々な情報が今の世の中は溢れていますが、それら全てが正しいわけでもありませんし、ネガティブなことや傷つくことも目に飛び込んできたり・・。
本を読んだり、動画サイトを見たり、ネットで探したり、でも本当に欲しいものが見つからない。
自分のトリセツ、どこかで売ってるでしょうか?
カウンセリングでは、欲しい答えを提示することは難しいかもしれません。今ここで、目の覚めるような奇跡も起きません。
ですが、自分の人生を自分の力で歩いていくための力を一緒に付けていくことが出来ます。
道に迷った時に、果たしてどっちに行けばいいのか、一緒に考えることも出来ます。
Kさんにとっての『根っこの部分の癒し』がどんなものなのか、今は分かりませんが、一緒に見つけ、創っていくことが出来るかなと思います。
もしかしたらカウンセリングを受けてみようか、迷っておられるかも知れませんね。
ご無理なく、機が熟した時に、来室していただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
こういうところにあんまりコメントをしたことがないのでドキドキしてコメントしていますが…。
そうなんです!困っている症状に名前を付けてほしいわけでもなければ、それに対しての一般的な対応だけをしてほしいわけでもないのです。
まさに、この生きにくい私自身の存在を何とかしてほしいのです!
これまで病院に行ったりいろいろなところで相談をしてみましたが、なんだかもやもやが残ってしっくりこなかったのは、こういうことだったんだと感じました。
もうあきらめかけていましたが、今度は専門家のカウンセリングを受けてみようかと迷っていて、このブログを見つけました。あまりに自分の気持ちにぴったりとくるタイトルだったので、読んでみて思わずコメントしてしまいました。
専門家のところに行ってももやもやが晴れなかったら嫌だなあと一歩踏み出せずにいましたが、他のタイトルのブログも読んでみると、誠実さが伝わってきて、私独自の問題を私に合わせた形で対応してもらえるのではないかと感じました。
少し遠くに住んでいるので迷っているのですが、初回からのオンラインも可能なのでしょうか?
>秋晴れさん
初めまして!
思い切ってコメントくださったんですね。
とても嬉しいです。
色々な症状や悩みは、今の精神医学の診断基準では、その人全体像(人生の流れ含め)を見て診断をするのではなく、発生している事柄・事象に対して診断を付けている、という面があります。
つまり、チェックリスト的な当てはめによって、人が分類されているということになり、仮に同じ診断名でも、人によって状態像が微妙に違う、ということが起きてきます。
このメリットはもちろんあって、投薬治療などがスムーズになりますし、病態の情報を共有しやすくなり、休職・復職の判断がしやすくなったり、など可視化しやすいということもあります。
でも、投薬を求めていなかったり、心理的な課題によって事柄が起きている場合、今の医療では頓挫が起きやすい。解決を求めて心療内科に行ったのに、路頭に迷ってしまう、ということがありえます(誰が悪いとかではなく、そういう医療の構造に今はなっています)。
心葉のカウンセリングでは、ここに光を射したいと考えています。
来ていただいた方のこころのもやもやが、少しでも晴れれば、と思っています。
出来るだけ明るくて、強い光だと良いのですが、個人開業のオフィスですので、自分の力の届く限り、精一杯のことを、といった感じでしょうか。
最近は、最初からオンライン(Zoom)でカウンセリングを始められる方も増えてきています。操作も直ぐに慣れますし、「パソコンが苦手で」と言っていた方でも、意外と簡単に出来ますし、良いツールが出来たなと思います。
想定していませんでしたが、県外からのカウンセリングの申し込みも増えています。
ということで、最初からオンライン(Zoom)のカウンセリング、大丈夫ですので、ご無理なくご検討くださいね。
どうぞよろしくお願いいたします。