のび太くんがなりたかったもの④

(ブログは、スマホで読むと皆さんからのコメントが表示されないことがあるようです。是非PCで読んでください。そしてこの記事は、僕がカウンセラーになるまでの道のりをボチボチ書いていくシリーズですので、①②③の続きとなります。ご了承ください)

4月1日。天気は晴れ。

すがすがしい気分。

本棟2階の一番東の広い会議室。午前9時ちょうど。

新規採用者が集まるオリエンテーションの場。

『国立療養所』という重厚な頭文字から始まる、病床数約400の病院に僕はいた。

通勤時には、オレンジ色で大きく書かれた病院名が遠くからでもよく見えた。

れっきとした国家公務員に僕はなったのだ。

1か月前には全く想像していなかったけれど。

人生で初めて白衣に袖を通し、内心浮つきながらも真面目な顔で椅子に座る。

次から次へと説明される事務手続きや病院の仕組みについて、右から左へ確実に受け流した。

看護師、栄養士、理学療法士、作業療法士、事務職、などなど、様々な職種の新人さんが並ぶ。

皆、表情は活き活きして、輝いて見える。

だな。

僕は浪人して、休学して、大学院に行ってるから、ちょっと年上なのだ。へへ。

全く威張る意味はない・・。

さて、いよいよ臨床だ。心理だ、心理だ。

どんなことがやれるかな?

ワクワク、ドキドキ。

病院の中でも古い建屋の1階の一番隅っこが、所属することになった心理療法室。

僕の職名は心理療法士。何かちょっとかっこいい。

暗い、陰気、湿気が多くてジメジメしている、という病院内では評判の場所にあったが、僕はそういう隅っこの方が落ち着くのだ。

新卒の僕だが、いっちょ前に自分だけの仕事部屋が与えられる。

そりゃそうだ、2名の人員でフル回転して仕事をする部署だ。

即戦力なのだ。

ドラフト1位なのだ(競争相手いなかったけど)。

使い古されたグレーのデスクと椅子。

右上の引き出しをガタガタと開けてみる。

ん?

何か小さなメッセージカードが出てきた。

可愛い文字で書かれている。

前任者の女性の先輩からである。

2回くらいしか会ったことはないが、とても優しい人だ。

そして、はっきり言ってしまえば、かなりの美人である。

『ウェルカム、稲吉くん。頑張ってね』的なメッセージと共に、退職間際に屋久島旅行に行ったというお土産があった。

やるね、先輩。

テンションあげあげじゃないですか。

そんな訳で、出だしは好調だった。

病院での心理療法士の主な仕事は、心理検査を行う、というもの。

いや、言い間違えた。

主な、ではなく、全て、である。

ひたすらやる。一日中やる。

業務内容を改めて知って、『臨床』というより『労働』という言葉が浮かびかけて、慌ててそれを氣合いで打ち消す。

まあ、まずは慣れていけばいいか。

そう思って仕事に入ったのだが・・。

ガビーン。

大学・大学院で学んできたことだけでは、全然知識が足りないのである。

そりゃ新人なんだから仕方ないんだが、ちょっと歯が立ちません、というレベルではなく、全然仕事にならないというレベルである。

即戦力のはずが・・。

焦った。

マジ焦った。

後々分かってきたのだが、心理検査を実施すると言っても、ここは脳の疾患を抱えた患者さんの治療を行う専門の病院。

検査内容も神経心理検査というものに分類されるものが多く、評価基準がパッケージ化されたようなものはあまりなく、自分たちでデータを集め、研究をし、開発していくものなのである。

つまり、心理検査の評価基準そのものを自分達で創っていかなければならないのである。

そんなことはつゆ知らず、前任者の美人先輩が書いた神経心理検査結果の所見を参考にしながら、手探りで仕事をする。

無我夢中、五里霧中。

茫然自失の境地である。

したら、1か月もしたら直ぐに身体に反応が出た。

5月病というのがあるが、そんな生易しいものではない。

帯状疱疹である。

身体に吹き出物が出て、痛い。歩くのもしんどい。

でも、僕はそれを上司に言えなかったし、休むということも考えられなかった。

迷惑はかけられない、ただこの一心で出勤した。

分かる人には分かるのだが、この発想、メンタル的にはとても危険である。

毎日ひりひりした気持ちの中、仕事をする。

出来ることしか出来なかったけど、真面目に仕事をこなす僕を、上司は好意的に捉えてくれたようで、一定の評価はしてくれていたように思う。

誤解のないように書いておくが、上司が仕事を教えてくれなかったという訳ではない。

そういうレベルの話ではなく、例えば、英語の勉強をしてきて通訳の仕事をしようと思ったら、ヒンディー語の通訳をしなければいけなくなった、みたいな。

全然次元が違って、ちょっと教えてもらって何とかなる話ではないのだ。

1年間、必死に働いた。

とにかく覚えること、数をこなすこと、それだけを頑張った。

ようやく、自分のペースもつかめてくる。

あっという間に1年目の年度末を迎える。

そんな頃、上司から、ちょっと話があるのだけど、と言われる。

20年くらいのキャリアがある大ベテラン。

データで物事をビシッと示し、医者にも一目置かれている人だ。

上司と僕とでは、まだ大リーガーと高校球児くらいの差があった。

実は退職することになってね。

えー!?

僕の知識では歯が立たない心理療法室の仕事を、実質一人で切り盛りしていた人が、である。

2年目のぺーぺーが残されることに。

どうすんだべ、オレ。

上司がしていた仕事のレベルに自分はとてもじゃないけど、追い付いていない。

やべー。

レベル10でゾーマと対決とか、そういうことだぞ。

(元ネタ知らない人ごめん)

と戦々恐々とする中、上司の後釜には、上司と同じくらいの年齢の破天荒な先生が転職してきた。

元大学の教授だとか何とか。

上司と同じ大学出身で、一つ後輩だとかなんとか。

やったぜ、ベイビー。

これで仕事丸投げだ。

何て不謹慎に思ったかどうかは覚えていないけど、相当に安心した。

そして幸運なことに、この先生は持っている神経心理検査の知識を洗いざらい僕に教えてくれた。

何と、神経心理検査の評価基準そのものを色々と研究で創ってきた人だったのだ。

僕は、スーパーマリオで言うところのスターを取った。

2年目に入り、半年が過ぎる頃、一気に知識が伸びた僕は、ようやく一人で仕事を回せるようになった。

なら順風満帆かと言えば、その先生はわずか半年でスパッと辞めてしまったのである。

それもそのはずで。

大学の教授だった時に比べると、給料は何分の1か。

癖のある患者さんから苦情も入る現場で、直接怒りをぶつけられることもある。

心理士なんてプライドもくそもあったもんじゃない。

年齢も当時僕より15歳くらいは上で、元は大学の先生をしていた人である。

とても気持ちが持たなかったのだと思う。

そうだね、僕も当時若かったから出来たということもある。

多分ご自身は、早々に辞める気持ちを固め、僕に仕事を任せられるように教育してくれたんだろう。

と今になっては思う。

そんなこんなで、またしても残された2年目の秋のぺーぺーの僕は、大学院時代の後輩に声をかけた。

前の記事で書いたが、心理職は求人募集が少ない。

僕は運良く、修士課程修了間際に求人が出たため就職出来たのだが、後輩の彼はタイミングが悪く、求人がなく、大学院を修了したにも関わらず、プータロー状態であった。

もうこういうのは、完全にタイミングの問題である。

この誘いを断る理由は、後輩にはない。

こうして、若い男2人体制の心理療法室が出来上がった。

そして、追い風が吹く。

病院内でちょっと人気が出てきたのだ。

僕はただの童顔だったが、後輩は背が高くて真面目でイケメンだったこともあり、何かとキャーキャー言われるのだ。

そういう面はあったとして。

神経心理検査の仕事そのものは、僕にはずっと過酷だった。

例えば認知症の検査。

明らかに発症されている人は、当然物忘れがあり、物忘れの検査の出来が良くない。

当たり前だが、相当に落ち込まれる。

僕にはなすすべもない。

『私、認知症かね?』

悲しい顔で、そう聞かれる。

主治医ではないので、答えられないし、答えたところで、答えたこと自体も忘れてしまうだろう。

でも、僕の中には、その表情と言葉、体感、傷つきだけが残る。

この繰り返しの日々。

人に嫌な思いをさせる検査をして、僕は一体何をしているんだろうか。

頭では理解している。

この検査結果が、患者さんの治療に役立っていることを。

辞めたい、辞めたい。

こんなはずじゃない。

したかった仕事はこんなじゃない。

その思いだけが募っていく。

時代は小泉政権。

病院が国立から独立行政法人に移行する。

頭文字が『国立療養所』から、『独立行政法人国立病院機構』というやたらに長い名前に取って代わった。

これが何を意味するのかを端的に言うと、国から補助金は出なくなりますよ、なので自分たちでしっかり稼いでね、ということである。

病院の方針が大きく転換する。

これまで経営をのんびりしていたわけでもないと思うのだが、独法化によって病院内の雰囲気がぴりつくのを肌で感じた。

30人ほどいた医師たちの目が吊り上がってくる。

患者数を増やす!

入院期間を短くして回転率を上げる!

この結果、所属していた心理療法室に何をもたらしたか。

簡単である。

業務量の大幅な増加、である。

そもそもキャパ一杯で何とかやっていたところに、更に業務が増える。

仕方がない、残業をするか。

しばらくはやり繰り出来るが、いやもうそういうレベルじゃない。

こなしきれない業務が溜まっていく。

今日も増えていく心理検査依頼書を見て、気が滅入る。

死ぬほど残業してやる!と息巻いて残業をする。

当時の残業は自己申告制である。

残業時間が2週間で20時間を超え出した頃、事務方の課長(班長?)から注意が入った。

定例業務時間内に仕事を終え、出来るだけ残業は少なくしてください、と。

はい?

全く理不尽である。病院全体の方針に沿って仕事をしているのに。

どんな状況にあるのか確認もしないトンチンカンな注意に腹を立てて、心理療法室の管理者にあたる精神科医の先生に一報を入れる。

良い先生である。

『残業が必要なだけ仕事が増えているのだから、事務の言う事は気にしなくて良いよ。事務がまた何か言ってきたら、私の方に直接言うよう伝えればいいからね』

んだんだ。

そうするべ。

そうして、また残業をする。

するとまた事務方から注意が入る。

すかさず言う。

「〇〇先生の指示で仕事をしていますので、残業が問題なのであれば、〇〇先生に直接言ってください。」

へへ、言ってやったぜ。

内心にやりとした次の瞬間。

「とにかく残業は少なくしてください。事務がそう言っていたと〇〇先生に言ってくれてもいいから」

そう言い放って、課長(班長?)は逃げて行った。

・・・。

意味不明で、突っ込みどころが多すぎて、言葉にならない。

この世には、自分の眼の前の事しか見えない人もいるんだ、と悟る。

煮え切らない。

仕事は減らない。

むしろ増える。

終わらない。

家に帰る。

酒量が増える。

年度が変わっても頑張る。

頑張り続ける。

あれ?

何か、朝起きれないぞ。

後輩に一報を入れる。

『ごめん、午前中休むよ』

後輩はイケメンで良い奴である。

予定されていた仕事の調整もしてくれる。

そんな感じで、段々と出勤出来ない日が出てくる。

あれ、おかしいな。

いやいや、そんな馬鹿な。

自分がうつになるなんてことはないよ。

そう思って気持ちを打ち消す。

でも身体は重いし、顔の表情も作れなくなってくる。

病院の同期のスタッフから指摘される。

「顔の表情、普通じゃないよ」

!?

ガーン。笑顔が作れない・・。

うーん、これはいかん。

にっちもさっちもいかなくなって、最後の砦を頼る。

精神科医の院長先生である。

年度が変わって、そのタイミングで院長先生が部署の直属の管理者となっていた。

が、あまりに立場が上過ぎて、よっぽどのことが無い限り話をすることはなかった。

でも、もう限界だ。

ああ先生、助けてください。

あの時の心境は今でも覚えている。

藁にも縋る思い。

真っ暗なトンネルにいるような気分。

全てを投げ出したい。

院長先生は穏やかに言った。

『まずは身体を休めるために、睡眠導入剤を出すね。それから、業務量が多くなっているから、業務量の調整をしていこうか』

的確である。

もうまさにそれ必要。

ただ、直ぐに状況が変わるわけじゃないから、薬を飲みながら仕事を、ギリギリでやる。

睡眠導入剤のレンドルミンの処方は、当初の半錠が、そのうちに1錠になり、2錠になり・・。

食欲の改善もしてみようとの話も出て、ドグマチール(スルピリド)を飲む。

当時の説明では、胃腸の調子を良くしつつ、副作用は抗うつとのこと。面白い薬だな。

(ちなみに、今は食欲改善よりも、うつ状態の改善を主眼に置いて処方されることが多くなっているとのこと)

確かに食欲が出て、ちょっと太った。でも抗うつ感はさっぱりである。

次はSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤)を試す。

パキシル(パロキセチン)である。

有名なやつである。

期待をかける。

しばらく飲む。

朝、吐き気。

実際に吐く。

これは副作用である。

直ぐに処方は中止。

次の手は、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤)。

トレドミン(ミルナシプラン)だ。

もう何でもいい。

効いてさえくれれば。

飲んでみる。

うーん、効いているような、あんまり変化ないような。

こうした苦しい時期が結構続いた。

結果から言えば、眠ることと食欲の改善には薬は効いたけど、うつっぽさに対しては、僕は全くと言っていいほど効果を感じなかった。

どのくらい飲み続けただろうか、もう記憶も定かではない。

一体いつまでこんな状態が続くのか。

正直、薬に頼りたいわけじゃない。

とにかく、辛いのを何とかしたいだけなのに。

心理士なのに、こんな風になった自分が不甲斐なくて。

でも、出口が全く見えなくて。

同じ大学院で学んだ同期達は、今頃、心理療法(カウンセリング)をしているんだろうか。

どんどん置いていかれるかのような感覚と焦り。

永遠に追い付けないような錯覚に陥る。

僕は、どうしたいんだろう・・。

そんな日々の中、もう破れかぶれである。

ある日、突然『薬はもう飲まない』と思って自己判断で断薬をした。

絶対にやっちゃいけないやつである。

ホント、おすすめしない。

何でか。

薬の成分の血中濃度が急激に下がって危険なのである。

問題となるのは、それに伴って現れる離脱症状。

僕の場合、物凄いふらつきとなって現れた。

病院内を歩くのに、手すりを持たないと歩けないのである。

傍から見たら、完全にヤバい医療従事者である。

こうして薬は強引に辞めた(※人には絶対にお勧めしません。薬の効果には個人差があります。必ず主治医の先生の指示に従ってください)。

でも院長パワーが効く。

業務量・内容が変わってきたのである。

段々と、以前のような環境に戻ってきた。

ありがとう先生。

今でも感謝の気持ちで一杯である。

だがしかし、僕のそもそもの辛さは、仕事をすることで患者さんを傷つけてしまう、というジレンマである。

心理士としての自信もなく、力もなく、誰も答えを教えてくれない。

相変わらず憂鬱な日々の中。

いつまでも続く暗いトンネルの中。

出口のない迷路に迷い込んだような、ゲージに入れられた家畜のような。

笑顔はようやく出始めたけど、心は笑っていない日々。

そして、唐突にそれは起きた。

ある患者さんに神経心理検査を始める前、僕はこんなことを口走っていた。

『本当にこういう検査って嫌になりますよね。難しい課題もあるし、正直疲れるんで、無理な時はすぐやめるので言ってくださいね』

半分、仕事放棄である。

すぐにやめたいのは僕の願望である。

本当は、患者さんが嫌がろうが傷つこうが、全部神経心理検査はやらなければいけない。

だってそれが与えられた仕事なのだから。

でも、僕の本音に患者さんは笑った。

頑張るから大丈夫ですよ、と言ってくれた。

その日の仕事。

高次脳機能障害がある患者さんで、記憶や言葉に相当な困難を抱えていた。

出来ない課題がやはり多い。

時間もかかる。

負荷のかかった様子を見届けるのは本当に苦しい。

明らかに出来ないと思われる難しいレベルの課題を提示しなければならない瞬間は、地獄である。

無理させないように様子を見ながら、患者さんと色々と話をし、検査を受ける大変さを労った。

休憩を挟みつつ、必要な神経心理検査をやっとのことで全て実施する。

時計を見ると、実施は2時間を優に超えていた。

安堵の気持ちの一方で、どっと疲れが出る。

検査が終わり、病棟まで一緒に歩いて帰る。

疲れた様子の患者さんのペースに合わせ、ゆっくりゆっくり歩く。

歩行機能のリハビリも必要な人だ。

心を配る。

今、僕に出来るのは、これだけ。

心の中で患者さんをねぎらう。

何度も何度も。

お疲れさまです、お疲れさまです。

僕には力がない。

知識もない。

自信もない。

エネルギーもない。

薬も飲んでた。

こんな僕で、申し訳ない。

辛い思いをさせてしまって、本当に申し訳ない・・。

ごめんなさい、ごめんなさい。

重い足取りで、病棟の入り口に着く。

病棟の看護師さんに検査が終わったことを伝え、患者さんをバトンタッチする。

病室に患者さんが戻っていく。

ああ終わった、さあ帰ろう。

早く忘れたい、忘れたい。そして早く忘れて欲しい。

辛い体験なんか、なくたっていい。

僕は声に出して、「お疲れさまでした」と言って一礼をした。

その声に患者さんは振り返る。

そして、ニッと笑った。

それから、『先生、今日は楽しかったです』と言った。

僕の中で、何かが動いた。

この仕事は、患者さんに負担を強いて、嫌な思いをさせるんだと思っていた。

もちろん、データとして蓄積していくことが、後世の臨床家のためにはなることは分かっていたけれど、今目の前にいる患者さんに何をもたらすことが出来るのかとか、今の僕にどういう学びがあるのかとか、答えは見つかっていなかった。

でも僕のあり方次第で、これまでと全く違う仕事になるのかもしれない。

確かに、今の病院の枠組みでは、やりたかったカウンセリング業務は出来ない。

でも、今日の関りはカウンセリングをしたようなものじゃないのか。

そうか、仕事の形がどんなものであれ、場を創ることは出来るんだ。

その日から、僕のあり方は変わった。

神経心理検査が患者さんに負担をかけてしまうのは変わらないのだけれど、僕はその負担に寄り添って、ただただ患者さんの味方となって、仕事をした。

相変わらず辛いのは辛い。

でも、患者さんの笑顔が増えた。

うん、それでいい、それでいい。

仕事に邁進出来るようになる。

考えてみると、この職場はもの凄くたくさんの事を学べるところだ。

特に脳の働きについて、心理職としてこれ以上学べるところはないだろう。

仕事をしながら、色んなことも学ぶ。

虎穴に入らずんば虎子を得ず。

半分食われかけたけど、かろうじて生き延びた。

色んな人達の助けを借りて。

あれが『うつ』だったと言えばそうなのかもと思う。

でも正直なところ、ちょっとわかんないんだよね。

正常とうつの境界線。

そして、まだ体感としては、調子を崩すかもしれないという恐怖感が残り続けていた。

ストレスがかかってきたら、また同じ状態になるのでは・・。

だから無理をせず、仕事は定時まで。そう決めて取り組む。

楽しいかと言われれば、楽しくはない。

でも何とか笑顔でやり切る。

抜け出したいなー。

でも、心理の仕事って、働き口がそうそうない。

独法化したとは言え、立場はまだ準国家公務員。

ただただ辞めるのは勇気がいる。

煮え切らない日々。

月に1回の細々と行っていたカウンセリング(心理療法)についての勉強会。

仕事ではカウンセリング(心理療法)は全くやれていないけど、この勉強会を失ったら僕はダメになると思う。

お世話になっていたアドバイザーの先生が、その会の休憩中、僕に言った。

「稲吉くん、産業領域に興味はある?」

へ?

産業領域に興味?

サンギョウリョウイキ!?

先生ソレハ、サンギョウニリョウイキテンカイスルッテコトデスカ?

想定外の話に理解が追い付かない。

先生は言う。

「いや、今ね、某企業の顧問心理士をしているんだけど、今度静岡で新しく採用枠を作ろうという話があって、稲吉君どうかなと思って」

!!!

この時ほど、立候補したいと思ったことはない。

学級委員になったらドラクエのソフト買ってもらえると言われた、小学4年生以来である。

ビシッと(心の中で)手を挙げた僕は、久しく輝くことのなかった目が輝くのを感じた。

6年と10か月。

長かったような短かったような。

紆余曲折あった病院時代はこうして幕を閉じる。

辛いことは確かに多かった。

メンタルが病むということがどういうことなのかも、身を持って知った。

当時は、このことが恥ずかしくて、誰にも言えなかった。

今は、恥ずかしげもなく、こうして書けるけど。

そして、助けてくれた人も多くて、実は物凄く脳科学の勉強も出来た。

この事の重要性は、この後働くフィールドが変わってから更に気づくことになる。

病院勤務で、僕は沢山のことを学んだ。

人生経験も積んで、人の暖かさにも触れた。

幸い、上層部が心理職の多忙さを理解してくれ、職場はその後人員も増え、無茶な仕事が降ってくることもなくなっていた。

僕のここでの仕事は、ここで一区切りだ。

そう思えた。

新しい働くフィールドは、皆が知っているあの電車の会社である。

「そうだ、〇〇行こう!」の会社である。

ただ、まだ恐怖心があった。

あの、『うつ』の体感が消えていないのである。

再発するのではないか・・。

僕は何事も慣れるまで時間がかかる。

言ってみれば、環境の変化にとても弱い。

まったくフィールドの違う仕事になるのだが、大丈夫なのだろうか。

丁度その頃、長女が産まれた。

僕は父親になった。

踏ん張れ、オレ。

そう言い聞かせる。

大丈夫だ。

やれる、やれる。

自信がない時ほど、そう自分に言い聞かせたくなるもの。

白衣を脱ぐ。

何だかちょっと寂しい。

もうこの白衣は、僕のものではなくなるんだ。

パズーとシータが、天空の城を離れる時の気分。

次はスーツである。

毎日ネクタイをして、革靴で歩くのである。

当たり前である。

皆サラリーマンはそうしているのだ。

うつになる怖さを氣合いで封じ込める。

こうして僕は、民間企業に転職をし、ビジネスという世界に足を踏み入れることになる。

公務員の立場から、営利企業へ。

乗り換えた船の違いの大きさをまだ知らず。

それでも僕の臨床は、ここから勢いよく加速していく。

井の中の蛙だったことに気づき、武者修行の日々に入っていく。

苦しくて、夜、酒を飲んでは泣くことが、まだあった。

でも、僕の肩には大切な、小さな命が乗っかっている。

11月。秋。

真新しいスーツを着て、朝日を浴びながら、僕は通勤電車に乗った。

のび太くんがなりたかったもの③

(ブログは、スマホで読むと皆さんからのコメントが表示されないことがあるようです。是非PCで読んでください。そしてこの記事は、僕がカウンセラーになるまでの道のりをボチボチ書いていくシリーズですので、①②の続きとなります。ご了承ください)

大学3年生の秋、ユングが書いた『人間と象徴』に魅了された僕は、無意識の力と、それがどう表現されるのか、ということに興味が全振りしていた。

3年生になると、全員がどこかの心理学の研究ゼミに所属する。

僕が入ったゼミの教授は、当時40歳過ぎくらいの眼鏡の女性の先生で、とても人柄の良い先生だった。

学生に凄く慕われていて、カウンセリングを受けるなら、こういう人に受けたいな、と思った。

所属していた教育学部は、山の上の方にあって、毎日ちょっとした登山の気分で大学に行く。

むろん朝の重い体にとっては、決して良い意味の登山にはならない。

が、登ってしまえば、遠くの駿河湾まで見えて、授業中も外を眺めては、しばし景色に浸った。

教育学部まで登る坂の途中の右手に図書館がある。例の隣の大学の新しい図書館とは違い、めちゃくちゃ古いが、宝の山。

通常開放している部分に加え、研究用に許可を得なければ入れない地下の書庫もあるのだが、そのことを知って、役立てることになるのは、もう少し後の事。

この2年半で、山あり谷ありの挫折を経験して。

そんな中、勉強の方向性も見えてきた。

大学院にも行くんだ、と決意した。

だけど、僕はまだ挫折の傷が癒えていなくて、やり切れていないことがあった。

勉強はする。

でも、やりたいこともやる。

くすぶっていても始まらないから、と思って、3年生にもなって、僕はサークルを立ち上げた(ちなみに、普通は2年生くらいまでにこういうことは終え、3年生からは就職に向けて動き出すもの)。

出来ないことをする必要はない。

好きな事で一旗揚げたい。

今、U2の音楽が僕を支えてくれている。

だから、音楽に関わる活動がしたい。

でもギターは下手くそ。

じゃあ、想いを言葉にして表現する。

これがハマった。

音楽好きは世の中に多い。

というか、嫌いな人はいるのか?

音楽について様々な記事を掲載する音楽雑誌を創刊する。

と言っても、白黒印刷の安っぽいやつだ。

出来る範囲でいいよという約束で、半袖・半ズボンの彼も手伝ってくれた。

嬉しいな。

記事を書いてくれそうな友人には、片っ端から声をかけた。

皆割と面白がって書いてくれる。

細々と始めたのだけど、あっという間に仲間は増え、結果的に数か月後には20人に膨れ上がっていく。

本当の雑誌の編集部のような組織となっていく。

僕は『生きている』、という実感を感じた。

ライブハウスやプロを目指す大学生に取材に行き、ライブレポートを書き、ヒットチャートのレビューを面白おかしく書き、自分の思いを人生で初めてエッセイ風に綴った(ちなみに、これがこうして今書いているブログの原型だと思う)。

どういう風が吹いたのか分からないが、大学祭実行委員から、ステージ出演者を決める審査員をしてくれないかと依頼が来て、出演バンドを決める大役もやった。

何で僕が?と思いつつ。

その一方で、僕は調子にも乗り出していた。

何だ、やれば出来るんじゃないか。

その気になれば、僕はすごいんだ。

部数が伸び、数千人いる学生のほとんどが僕らの音楽雑誌の存在を知るようになる。

どれだけ沢山印刷しても、学生生協のCDなど売っている音楽コーナーなどに置いておけば、必ず全て無くなる。

「編集長さんですよね?」

知らない女子学生から声をかけられる。

「いつもエッセイ楽しみにしています」と、澄みきった潤んだ眼で言われる。

天にも昇る心地、である。

そして何でそんなことになるのか全く分からないが、僕らの音楽雑誌をパクったというかパロッたというか、偽物の音楽雑誌も出回る(笑)。

え?こんなことあるの?と思う。

もっと上へ。

もっと先へ。

もっと成長して。

世の中に影響を与えたい。

そしてどこまで行けるのか、その限界まで行きたい。

それは僕の想い。

強い想い。

でも、それは皆の想いではない。

偏った、僕の傷つき混じりの想い。

このズレ。

仲間は増えた。

夜な夜な活動する。

止まることなんて知らない。

いつだって、次を目指す。

ん?これどこかで経験しなかったっけか?

ハッと気づく。

メンバーは楽しそうかな?

んー、なんかしんどそうに見える。

そうか、そうか、そういうことか。

僕は自分の夢だけを追いかけすぎているんだな。

人生の流れの中で、その時のその人の温度と僕の温度は同じではない。

心の温度は上がったり下がったりを繰り返しながら、振り子のように揺れていくもの。

活動は波に乗っていた。

サークル長・編集長をしていたけど、でも何だか、皆を引っ張っていくことがしんどくなってきて。

4年生になって、サークル長を新しい人に引き継ぐ。20歳の2年生の女の子だ。

雑誌の作成は順調。企画・取材・印刷・発行、何にも分からないところから、システムを作り上げ、これからももっと進化していくだろう。

新1年生も入ってきて、体制も盤石だ。

1人じゃ出来ないことも、皆が集まれば出来るんだ。

そういう時、アパートでシャワーを浴びていて、ふと思った。

引き際。

すぐに新しいサークル長に電話をして、伝えた。

『僕は辞めるよ』と。

その判断が良かったのかどうかは、良く分からない。

僕が辞めたのをピークに、右肩上がりだった部数は頭打ちとなり、サークルの規模は縮小していく。

これまで手作業で一部一部を製本していて、多く作るのは大変だったから、のび太君のフリしたジャイアンがいなくなって、皆気が安らいだのだと思う。

そして、メンバー達は伸び伸びとして、楽しそうだったし、大学生活を謳歌しているように見えた。

その後、何年かしてサークルは無くなったらしい。

それでいいと思うし、別に命を懸けるものでもない。

僕の想いはあっていいし、でも皆の想いもあって、それが融合して、化学反応を起こして、次の道は出来ていく。

ここは大きな学びになった。

人それぞれの人生があって、同じ方向を見ている人ばかりではない。

当たり前の事実なんだけど、こうして形になってみると、はっきりと分かる。

心は人それぞれで。

カウンセラーがどれだけ良かれと思ってしたことも、その人の歩みからずれてしまうと負荷をかけてしまう。

この体験は、カウンセラーとしての僕の鋳型となる。

大学4年の秋、大学院の試験に無事合格する。

独り酒を覚えてしまったけれど、試験前の数週間、完全に酒断ちをする。

いや、頑張ったなぁ、あの時のオレ。

で、晴れて大学院に行ったかと言えば、そんなスムーズではなく。

まだ納得がいっていないのである、この男は。めんどくさ(苦笑)。

卒業式はサボった。

同じ学科の学生と先生、皆が集まる最後の場である謝恩会の挨拶を任されていたにも関わらず、である。

連絡もせず、である。

全く、人間失格である。

あの時のオレ。

卒業って言うけど、みんなそんなんでいいのか?

と思っていた。

4年間が過ぎたから、卒業。

そりゃそうなんだけど、人生はそんな風に区切れるもんだろうか?

何かを学んで、納得をして卒業したい。

そう思った僕は、休学という選択をする。

人生は『選択』の連続である。

予備校の先生は言った。

僕も今、その気持ちに共感出来た。

『苦難』はもちろんある、でもこの先の未来は『選択』できる。

休学は1年間。

何をやるか。

カウンセラーになるとは決めている。

これからきっと専門的なことは一杯学ぶだろう。

よし、じゃあ、この先絶対に体験しない・学ばないことを徹底的にやってやろう。

いつかカウンセラーになった時に、机で勉強してきました、じゃなくて、泣いて笑って、転んで立ち上がって、痛みを知ってそれを癒して、ということをしてきました、って言えるようになろう。

だから動いた。

ただの人、という立場になって、各地に行く。

年齢も学歴も考え方も違う人たちに会いに行く。

今は心理学は横に置いておく。

ただの人となっての、武者修行。

ある時はサバイバルを学ぶ。

夜の樹海でビバーク(野宿)をする。

木と木に生地を結びつけ、それを屋根代わりにして、寝袋に包まる。

ベテランの指導する人がいて、学びの場。

・・・のはずが、台風が到来し、本当の緊急避難に遭遇。

あれは怖かった。そういう時は誰かと助け合わなければ、人は生き延びられない。

ある時は、海に行く。港から港へ手漕ぎのボートで移動する。

動力源は『人』のみ。

何でそんな状況になるの?ということは置いておいて。

救命胴衣を着てはいたけど、信じられるのは自分の力と同船者のみ。

人の力と波の力の勝負。

1時間もすると、力尽きてうんざりしている奴がいる。

その顔を見て、心の中で『ケッ!根性のない奴だな』という悪態を付きながら、『そういう人を助ける』という、二つの心が揺れ動いた。

人の底力は、こういう時に発揮されると思った。

とにかくもう二度と出来ないような経験をするんだ。

頭じゃない、身体で学ぶんだ。

そう思った。

そうしていたら、本当にもう二度と経験しないような、というか経験したくもない出来事が起きる。

休学も半年を迎えようとしていた頃、弟がメンタルで病に倒れたのだ。

休学がこんな形で役に立つことになるとは思わなかった。

母親から緊迫した電話が入る。

「ちょっと困ったことになってねえ」

当時、浜松にいた弟の元に急ぐ。

アパートに着き、弟の顔を見て、ん、これはいつもと違うと直感する。

こんなに青白かったっけか。

そして、傍らに茶髪の美人の彼女がいる。目は虚ろ。何かを諦めてしまったような目だ。

更に直観が働く。これは良くない流れだ。

それでも兄の顔を見て、安心したらしい。

笑顔が出る。良かった、近くにいるよ。

弟の部屋で一泊。

夜な夜な語る。

その後、療養のため弟は実家に帰り、僕は看病に入る。

病院にも一緒に行く。

医者の診断は『?』。

なんだそりゃ。

病名が決まらない、だと?

んなことあるのか?

状態は悪い、それだけは確か。

医者も判断できない状態を、どう判断すればよいのか。

何とかしたい、でも何も出来ない。

僕は無力さを知る。

カウンセラーになりたいくせに、目の前の弟も救えないのか。

悔しい、悔しい。

そして、ふと、頭によぎる。

そうか、あそこがある!

教育学部に上るその途中の右手。

今、僕は大学院生だ。今度は正々堂々と行ける。

大学図書館の地下の書庫である。

夕刻、古いタイプのエレベータで一人地下に潜る。

でかいボタンに、やたらでかい起動音のするエレベーターである。

暗くてひんやりした書庫。

こんな所があるのかと思う。

ハリーポッターの秘密の部屋的な雰囲気だ。

自分で部屋の電気を付け、症状についての論文を探す。

考古学者が発掘をする気分がちょっと分かったような、そんな気持ちで読み漁る。

症状と治療法、今の僕は何も知らない。

どこかに情報がないか、答えがないか。

カウンセラーになると言ったって、心の事も分かっていないし、世の中のことも分かってない。

どっちも中途半端。

時間は刻々と過ぎていく。

古い本の匂いなのか、カビの匂いなのか、とにかく普段嗅がない匂いの中、黙々と調べる。

地下は人の出入りがほとんどなく、時折遠くでエレベーターの起動音がした。

そして、籠り続けて。

あった!

ちゃんと症例があるじゃないか。

目ぼしい論文を見つけ、コピーを取って、実家に帰る。

医学的な知識は付いた。

僕なりの理解も出来た。

でも、その論文を父親は煙たがった。

息子としてではなく、症例としてみることに抵抗があったのだろう。

うん、それも分かる。

それでいいと思う。

直接の治療ができるわけでもないし。

当時、実家では、目につくところにあった刃物が隠された。

手首の辺りをちょっと切っていたみたい、と親から聞かされる。

胸が苦しくなる。

しばらく剃刀は使わないようにしよう。

人生で最も髭が伸びたのは、この時期だった。

論文からすると、幸運なことに、経過はとても良いことが分かった。

これはかなりレアケースらしい。

ただ、だからと言って、医者でもない僕は、何をすれば良いのか皆目見当がつかない。

とにかく休学の後半は、ほぼ弟と過ごす時間となった。

が、僕はこの時心に誓った。

薬に頼るでもなく、ただ見守るでもなく、背中を押したり、引っ張り上げたり、本人が見えていないその先の一歩を僕が先に進んで、足元を照らしてやるような、そうやって弟を救うカウンセラーになる、と。

そう、ただの心理カウンセラーじゃない。

話を聴くとかそういう事だけに留まらず、人生をより良い方向に導くのが僕の使命だ。

そしてその先に、そういう状況に置かれた人たちを救うんだ、と。

その後、症状が落ち着いた弟は大学を卒業し、それなりに大きなIT企業にシステムエンジニアとして就職した。

が、じきに休職。

そのまま長い休みが続いていた。

大学院に復学した僕は、大学院修了に必要な科目全てで、優、良、可の3段階評価で、全て『優』を取った。

学部生の時は、水戸黄門の成績と言われたが(『可っ、可っ、可っ』と連発したため・苦笑)、もうそうは言わせない。

修士論文のテーマは、風景構成法という描画の心理検査に絞る。

人の心がどのように絵に表現されていくのか、癒されている過程で、どのように変わっていくのか、人の無意識の力や治癒の力に僕は魅せられていた。

ところで、心理の仕事というのは、実は就職先があんまりない。

だから、就職活動ということがそもそも出来ない。

病院に勤めるとして、常勤枠が一人だったら、その人が辞めないとポストが空かないのだ。

そんなこんなで、大学院修士課程2年の2月後半になっても、就職は全く決まっておらず、4月からどこで何をしているのか、先が見えていなかった。

弟は幸い落ち着いていて、でも会社は辞める方向で動いていた。

うん、それでいい。

無理しなくていいよ。

心身の健康が一番大事。

またそのうち、今後のことを話せるといいな。

一方で、もしかすると、オレは就職浪人か?

そして、情け容赦なく3月に突入した頃、大学の教官(例の優しい女教授ではない)から唐突に電話が来た。

赤信号で電話に出て、『車の運転中なんですけど』と言うと、『車を停めろ』と、相当な権幕の電話である。

それもそのはず、常勤の心理職の仕事の募集が出た、とのこと。

しかも国家公務員だ。

行く。

行きます!

絶対に行きます!!

仕事内容もあまり考えず、話に飛びつく。

迷いもない。

1週間後、着慣れないスーツを着て、面接を受けて、2日後に受かったよと通知が来る。

え?こんなもの??

2週間程の間にあれよあれよと事務手続きが進む。

早い早い、公務員の事務職の年度末は本気なのだ(異動前に仕事は片づけたい・笑)。

4月。

晴れて国家公務員となった僕は、白衣を着て、病院にいた。

仕事ってどうするの?何やるの?

就職活動をしたことがないため社会人の常識をよく知らず、つい昨日まで大学をフラフラしていた僕は、学生気分を思いっきり引きずっていた。

そして、またしてもこれから自分の身に想定外の事態が起きていくことを、まだ知る由もなかった。

のび太くんがなりたかったもの②

(この記事は、僕がカウンセラーになるまでの道のりをボチボチ書いていくシリーズですので、①の続きとなります。ご了承ください)

4月の始めは、静岡といえども肌寒い。

住み慣れた愛知よりは暖かいけど、それでもまだ風は冷たい。

遠いような近いような距離感で、ほんのり雪を被った富士山が見える。

地元から離れ、別の土地に来たことを実感する。

ああ、生まれて初めての1人暮らしが始まるんだ。

最初の3か月は風呂・トイレが共用の古い木造のアパートに住む。

正直言って、ボロボロである。

3か月後に新築されるアパートに入居することを条件に、とりあえずこの3か月は古いのに住んでくれと、大家さんからの説明。その間、家賃も安くしますよと。

全然OKですよ。これまでの『苦難』に比べれば、天国です。

桜が咲いているとは言え、この寒さ。

コタツもまだあった方が良いだろうとの判断は正しく、引っ越し早々に大活躍した。

まさかとは思うが、とても半袖・半ズボンでは過ごせない。

2階建ての古い木造アパート。

というより『寮』と言う方がしっくりくる。

7.5畳くらいのワンルームが1階・2階で合わせて12部屋。

皆、大学1年生だ。

僕は2階の一番奥の角部屋。

玄関で靴を脱いで、部屋までの廊下を歩く。

どの部屋に誰がいるか、廊下から音は筒抜け。

隣の部屋は横浜から来た女の子。

何かドキドキする。

生まれも育ちも皆バラバラ。

方言もバラバラ。だから地方ネタは盛り上がる。

地元の名産や独特な習慣の話。

誰が、何を話しても、皆に受ける。

どれも新鮮で、鉄板ネタになる。

一部屋に皆で集まって、夜な夜な語る。そして、夜は更に冷える。

コタツが嬉しい。暖かさは、人の心を優しくするんだ。

書くのは恥ずかしいが、『和気あいあい』というのはこういう雰囲気を言う。

が、楽しいのはいいとして、どうも雰囲気に違和感を感じざるを得ない。

自分の概念にないものを認識すると、人は目を丸くする。

そう、部屋でありえないものが目に入って、それを誰もが二度見した。

楽しいその輪の中心。

半袖・半ズボンの男が、ドーンと座っているのだ。

皆、心の中でつぶやく。

この寒さだけど・・・。

でも、言葉は飲み込む。

そう彼には、引っ越し早々に皆お世話になっていたのだ。

3月末の引っ越しの日。

アパートの玄関先で彼に会った。

むろん、半袖・半ズボンだ。

明らかに僕にはないものを彼は持っていた。

同じ1年生のはずなのに、既に大家さんからはアパートの説明役(?)に抜擢され、何故か大家さんからではなく、彼からアパートの使い勝手についての説明を受ける。

気さくで、面白い人だ。

だからかどうか分からないが、僕らは自然と馬が合った。

学部は違ったけれど、頭が切れる人で、口も立った。

何と言うか、人が集まると、自然にボスになっちゃうような感じの人というか。

その後、同じサークルに入って、同じバイトもした。

人は異文化に触れたり、新しい刺激を受けると成長する。

浪人を経て、僕はとにかく自分を成長させる機会に飢えていた。

カウンセラーを目指すとは言え、どんな道を歩めばいいか分からなかったし、今の自分の力が弱いことも知っていたから。

ところで、人生というのはやはり『苦難』の連続である。

肝心の大学の授業はどうかと言えば、だ。

心理学統計法?心理学基礎実験?心理学研究法?

聞いたことも見たことも、食べたこともないような名前の授業。

人を助けるため、と思い描いた、そんな心理学の授業が全くないのだ。

先生もブツブツ独り言のように話す。

予備校の先生は、熱心に、面白く、何かを届けてくれようとしたんだけどな・・。

そうして、段々と気づいてくる。そうか、大学の先生は研究者だ。

授業に熱を込める人もいれば、そうでない人もいる。

熱量のない授業。

よくこんな授業に出席するよな、と思い始め、3か月程過ぎた頃には、あれよあれよと足が遠のく。

「今日は授業何コマ?」

友達から聞かれる。

「今日はパス」

と答える。

正確には「は」ではなく、「も」である。

『授業で使うから』と言われて、学生生協の書店で買った1ページも開かなかった高価な本達は、新しいアパートの部屋で完全にインテリアと化した。


そんな感じで、大学は行ったり、行かなかったり、どちらかと言えば行かなかったり。

折角学びたいものを見つけたのに、肝心のコンテンツがない・・。

だからなのか定かではないが、僕は同世代の仲間と創り出す企画運営のようなものにハマった。

半袖・半ズボンの彼がリーダー。

僕はサブリーダーのようなポジションでいることが多かった。

新築のアパートになり、完全な独り暮らしの部屋に引っ越した後も、僕らは仲が良かった。

若くて、勢いがあって、前向きで、でもそのエネルギーをどこにぶつければいいのか、どう形にすればいいのか、誰も教えてくれないから、皆で創る。

熱に浮かされたように、僕らは活動する。

思い付いたことは全部やる。

やれないとか、分からないではない。やる。

僕は猛烈に成長することに飢えていた。

1人では出来ないことも、志を持った仲間が集まれば、実現していく。

例えば、テレビでニュースが流れる。

日本海で外国のタンカーが座礁して、重油が砂浜に流れ着いている。

海が汚れ、海鳥が油にまみれている。痛々しい。

何とかしなきゃ。

仲間を募って、夜行バスをチャーターし、重油を取り除くボランティアに行く。

ある時は、老人ホームでボランティアで話し相手になってくれる人が欲しいらしいと知る。

行く。

大学祭の催し物。地域の子ども達向けのブースに空きがある。何かイベントをやってくれないか?

やる。

あーでもない、こーでもないと、企画運営について、夜な夜な議論を尽くす。

朝日を浴びて、泥のように眠る。

大学1年生の秋も深まってきた頃、大きなイベントの企画が決まった。

静岡県庁の新聞記者達が仕事をするフロアに行く。

初めての場所で記者会見をする。

「中学・高校・大学といった若い世代が、語り合って、今必要なこと、これから必要なこと、そういう刺激を得て高めあえるようなフェスティバルを開催します!」

半袖・半ズボンが力強く宣言した。

(安心してください。ここではスーツ着てます(笑)。)

様々な新聞に掲載され、県外からもフェスティバルには人が来てくれた。

失敗もあったが、音楽もあり、食べ物もあり、真面目もあり、熱もあり、出会いもあった。

毎年やれたらいいね!誰もがそう思った。


人が人を呼び、うねりのように僕らの背中を押した。

僕らはそれに乗った。

とにかく、そういう日々。

そして、それはそれは楽しくて。未だに思う。

大学の授業受けるよりも、よっぽど自分の血となり、力となったって。

人が集まれば、より多くのことが出来る。

段々と規模も大きくなる。

人の思いも様々になってくる。

人間関係も入り組んでくる。

だけど、僕の力は未熟だ。

熱意をもって皆が動いていたけれど、いつしか方向性がブレ始め、一人二人と脱落し始める。

社会的に注目された企画が段々と回らなくなる。

焦りの中、動く。

それでも追い付かない。

昼夜も関係なく、動く、動く。

話し合いをするほど、心と心が離れていく。

だめだ、だめだ、このままじゃ。

楽しかったことが苦しくなって。

苦しいことが当たり前になって。

何のために動いているのか分からなくなって。

人生は『苦難』の連続である。

同級生が教育実習に向けて死に物狂いなのを横目に見ながら、大学の授業への興味は完全に消え失せ、サークル活動にのめり込んでいた大学2年生の夏。

疲弊していく仲間を繋ぎとめようと奔走し、それでも離れた心は簡単には戻らない。

僕らは成長したかった。

熱を込めた時間を過ごしたかった。ただそれだけだったのに。

振り返ってみれば、わずか1年半ほどだったけど、僕らはかなり大きなムーブメントのようなものを創り出していた。

100メートル走のように、皆全力で駆け抜けた。

でも、人生は100メートル以上続く。

そんなことも、あの時の僕らは知らず。

あんなに熱量のあった半袖・半ズボンの彼も燃え尽きていた。

リーダーを失うと、組織はあっという間に崩壊していく。

そうして気づけば、僕もボロボロになっていた。

成人式よりもこっちが大事と思って、地元には帰らない。

そのくらい熱を入れていた活動が、跡形もなく、仲間共々消えた。


20歳。

僕は心が空っぽになる、ということを経験した。

一人で夜な夜な酒を飲むことを覚えた。

朝まで飲んで、昼間眠って、夕方起きる。

たまに近くの定食屋でバイトする。

え?授業?

何だっけそれ。

部屋の片隅では、大学に入って初めて買ったエレキギターが埃を被っている。

バンドも一応やってはいたけれど、練習も中途半端な、なんちゃってギタリスト。

心の支えはU2の音楽だけだった。

『Where the streets have no name』。

まだ名前の付いていない所。約束の地へ。

成長したかった、ただそれだけなのに、僕はどこへ来てしまったんだろう。

その夏、あんなに活動的だった僕の記憶がほぼない。

抜け殻になると、人はそうなるんだと身をもって知る。

何だかよく分からない大きな夢の尻尾をかろうじて掴んで。

自分の使命は何だろうかと思いを馳せる。

酒を飲んでは、U2のライブ映像を見て、夜はよく一人泣いた。

季節は流れて。

秋になったが特にすることがない(←いい加減授業出ろ・笑)。

でも時間だけはあった僕は、隣の大学の図書館にしばしばいた。

ん?何で自分の大学の図書館じゃないんだ?

という、正しい最もな突っ込みに丁寧に答えるとすると。

その大学は出来たばかりで綺麗だった。

図書館にも良い本を厳選して置いているらしいという噂があった。

行ってみると、果たして噂は本当であった。

無料で良い本を読める。これは良いではないか。

心理学の授業には出る気が全くなかったが、まだ心理学への興味はかろうじてあるのだ。

そしてそこは女子が多かった。

というか、ほぼほぼ女子だった。

そういう興味もあるお年頃なのだ。

事実を丁寧に、正確に説明しているだけである。

決してよこしまな考えがあったわけではない。

男子まみれの母校ではなく、たまには女子まみれの中で、本にまみれてみようという崇高な考え、信念を持っての行動である。

学生にとって大切なことは何か、そう言わずもがな勉学である。学業である。

当たり前である。

誰が何と言おうと、まみれるのだ。

授業に出てなくたって、ビシッと言ってやるのだ。

今日も崇高な意志を持って、意気揚々と図書館でまみれようではないか!

という、抑えようにも抑えがたい若々しい気持ちはありつつ、確かに、本は良いものが揃っていた。

専門書の値段は結構高い。

学生ではとても沢山は買えない。

だから、これはありがたい。

しばし入りびたり、お昼は近くの弁当屋さんでから揚げ弁当を頼む。

店のおばちゃんは、「サービスね」と言って、いつもから揚げを一つ多く入れてくれた。

男子で良かった、と思える瞬間である。

そして女子率が高いと、何故か背筋が伸びて、読書に集中出来たのだ。

男という生物は不思議なもの(アホ)である。

が、そのアホな考えは、ある本を手にしたことによって粉々に打ち砕かれた。

『人間と象徴』(著:カール・グスタフ・ユング)。

僕の人生のターニングポイント。

衝撃と答え。

求めていた心理学の道がそこにはあった。

図書館で分厚い本を読み始めて、脳が興奮しているのが分かった。

身体の奥の方が熱くなる。

何だ!?この分野は。

無意識?夢分析?原型?象徴?

これ、図書館じゃなくて、自分の部屋でじっくり読みたい!

こうなったら、動くのである。

むろん正々堂々と。

まずは、図書を借りるためのカードを手に入れなければならない。

当たり前だけど、他大学の学生はそんなものはもらえない。

そりゃそうだ。

うむむ、と考え、心理学の自主研究会に参加させてもらう。

男子学生は珍しいので、先生はすぐに気に入ってくれる。仲良くもなる。

すると先生が「君は勉強熱心だねぇ」と感心して言う。

「そうなんです、へへ」と僕は純粋な眼で言う。

「もっと勉強したいんですよ。へへ」と僕はたたみかけて言う。

感銘を受けて、「よしよし、じゃあ君は特例だ」と先生は言う。

真心を込めて、「へへへ」と僕は言う。

そうして、特例としてその大学の図書館利用カードを手に入れたのである、へへ。

と、正々堂々と力業を駆使し、上下巻を借り、ダッシュで部屋に帰る。

僕の中で止まっていた心理学の時計が再び動き出す。


秋の夜は過ごしやすい。

部屋で一人、読み終える。

カウンセラーってなんだろうか。

何によって人は癒されていくのか。

まだ答えは分からないけど、人は自分の心を越えた何かと繋がって、そうして癒されていく。

本当の癒しに繋がる答えが、無意識の世界にはあるかもしれない。

『じゃあ大学院に行く』。

読み終えて、そう決めるまで秒。

そう思ったら、くそつまらんと思った授業にも出られるようになった。

大きな目標が見つかると、こまごまとした嫌なことは、ただの通過点となった。

そうして僕は、人の心の無意識を探求していくことになる。

U2の音楽は、そんな僕を後押しした。

『Where the streets have no name』。

まだ名前の付いていない所。

約束の地へ。

何だかまだ得体の知れない大きな夢。

夜な夜なU2のドキュメンタリー映画『RATTLE AND HUM』を観る。

良かった、また自分の道を見つけることが出来た。

自分の使命は何だろうかと思いを馳せる。

でも、一旦燃え尽きた傷も抱えていて、仲間を失った癒されない心もあって・・。

僕らは、これから一体どこに行くんだろう。

大切なものを、ちゃんと大切に出来るんだろうか。

船出の前日のような、まだ見ぬ新しい地を夢見るような。

得たものと失ったものを心の天秤にかけてみる。

動いて動いて、止まらない。

止まる気配すらない。

いや、今は止まらなくたっていい。

人生は『苦難』の連続である。

苦しいことはいっぱいある。

きっとこれからもいっぱいあるだろう。

が、もしかすると人生は『挑戦』の連続でもあるかもしれない。

『Where the streets have no name』の冒頭。

『ケ』から『ハレ』へ。

暗闇から光へ。

絶望の中から希望を叫ぶ。

まだ届かない何かに向かって、手を伸ばす。

大丈夫、これからだ。

そう思える。

圧巻のライブ。

僕は『ケガレ』てしまった。

でも、U2のボノやエッジのように、いつか誰かを『ハレ』に導きたい。

同時に、そんな力を持つことが出来るんだろうか、とも思う。

不安と夢と。

答えのない夜。

誰も本当のことを教えてはくれない。

エッジがギターを鳴らし、ボノがステージを駆ける。

胸の奥が熱くなって、何だか泣けて泣けて仕方がない。

秋が深まる頃、傷を抱えたまま、それでも、前へ前へと、僕は進んだ。

のび太くんがなりたかったもの①

先日、日本公認心理師学会で『公認心理師はいかに自分のバージョンアップをはかるのか』というテーマで発表したことをまとめようと思って、一度は記事にしてみたけど個人的に気に入らず、ボツ原稿となりまして(笑)。

でも何かの形にはしたいと思って。うむむ、と考えているうちに、ああそうか、ここは自分の責任で書く場なので、学会発表した内容にこだわらず、自分の思った通りに内から湧いてくることを書きたいように書けばいいのか、と気づきました。

ということで、僕が心理学を学んできてカウンセラーになって、今に至るまでの道のり(?)を、これから思うままに書いていこうと思います。多分長くなるのでちょっとずつ書きますね。

お役立ち情報とかは全くない(汗)ので、そのつもりで読んでください。

さてさて、話をまず大学受験に遡ってみることにする。

え、そこから(笑)?

そしていつ?

そうだな。スピッツが『ロビンソン』をヒットさせブレイクしたその年に、大学受験に失敗した僕は浪人生となった。

桜の舞う4月、名古屋の某予備校の5階の席に座っていた。

知り合いが誰もいないその教室。

とにかく花粉症の症状が今よりも辛くて、鼻水が出まくるので鼻をかみ過ぎて鼻の下がガビガビに。いっそ鼻をもいで洗ってやろうかと、本気で思った。書くまでもないが、当然のごとく目も痒みで大分やられていた。

何で大学に行くのか。

あまりその意味もよく分かっておらず。

ポツンと座って、窓の外を眺める。

高校生の時、数学がかろうじて好きだったから、経済学部?経営学部?とか考えていたけど、明確な目標だったわけでもなく。

何がやりたいんだか、何を学びたいんだか。

どう動けばいいのか、これからどこに向かえばいいのか。

誰も答えを知らない。教えてなどくれない。

それでも、志望校を紙に書く。適当に。

現役で大学に受かった友人からは時々連絡が来た。高3の時に付き合っていた彼女からも、時々手紙が届いた。

文末にはいつも『かしこ』と書いてある。

可愛い丸い文字を読んで、ホッとして、胸の奥が疼いて、切ないような懐かしいような気持ちになる。

皆、僕には気を遣ってくれる。ありがたい。

でも、隠していても『大学って楽しい』ってのが、漏れ出て伝わってくる。

いいなー。

今、僕には何にもない。

空っぽ。

朝、名古屋駅南口を出て、見上げた空。澄み渡った痛いくらいの青。

ああ、今日も授業が詰まっている。


ある時、予備校の先生がふと言った。「今の君たちにはここに何が入る?」

『人生は〇〇の連続である』

この〇〇には何が入っても良いらしい。

言葉を入れてみると、その時の自分の状態が分かるというもの。

その先生は、「僕は『選択』という言葉が入るかな」と言った。

ふーん、なるほど。そうなんだ。

僕にはサラッと『苦難』という言葉が頭に浮かんでいた。

暗っ。

こりゃうっかり人には言えないな(苦笑)。

それでも春から夏へ、時間は容赦なく過ぎる。時折、模擬試験を受ける。

波はあるけれど、そこそこの成績。

先生も褒めてくれる。

でも、僕には何もない。

将来、どこに向かっていくのだろう。

当時、ロビンソンが僕の頭の中ではよく流れていた。

『新しい季節は なぜかせつない日々で 河原の道を自転車で 走る君を追いかけた』

自分の事すらよく分からないや。

このままやりたいことも見つからず、何となく大学に行って、何となく働くんだろうか。

人間て何だろうか。何のために生きているんだろうか。

結局、人は死ぬじゃないか。

バカバカしい。頑張る先も見えてないのに走ってる。

時間や周りに流されて。

こうやって人は埋もれていくのかもしれないな・・。

ただただ空虚感。

予備校の帰りの電車から見た三河の田んぼの風景。

風になびく稲穂。遠くの山々。穏やかに流れる川。豊かな緑。

黙々と列車は走る。良いも悪いもない。ただ黙々と。

その時だけは、僕は癒された。

そうして、気づけば名古屋は殺人的な蒸し暑い夏に。

一方で、予備校のギンギンに冷えた教室。

暑さから避難したその部屋で、大学の学部一覧のようなリストを眺める。

ふーん、大学には色んな学部・学科があるんだな・・。

経済学部とか経営学部とか考えてたけど、他の方向性もありなのかな。

いやでも、受験科目の構成が変わると、また大変だしな。うーん。ブツブツ・・。

何て考えているうちに、ふと、これまで見たことのない学科が目に入った。

『心理学科?・・・心理学?』。

ん?なんだ!?

シンリガク?

心理・・学!?

心を・・・学ぶ??

なんだそれ?

脳内にビビッと電気が走る。

冷えた教室から暑い外に出る。

でも、暑さは感じない。

本屋に向かう。とにかく情報だ、情報だ。

欲しい、欲しい、情報が欲しい。

苦しくて、先が見えなくて。

どう生きればいいのか、何を目指せばいいのか。

じわじわと沼にハマっていくような日々。

それでも誰かが救ってくれるわけでもない。

でも。

何かが『カチッ』とはまったような。

暗いトンネルの先に光が見えたような。

とにかく説明のつかない高揚した感じ。

真夏の夜。夢中になって、それを調べた。

どうやら心理学という学問があって、その先に臨床心理士という職業があるらしいと知る。

『リンショウ・・・シンリシ!?』。

心という謎。

自分のことをもっと知りたくて、探求したくて。

何かに飢えていた。

どこを目指せばいいのか分からないから、動きたくても動き出せない。

そうしているうちに、動くことすら嫌になって。

ああもう、めんどくさ。めんどくさ。

人生は苦難の連続だ。

と思ってた。

でも、もしかしたら、もしかしたら見つけたのかもしれない。

大切なモノを。

これから探求していくモノを。

真夏の夜、僕は進路をロックオンした。


季節は秋から冬へ。

スイッチが入った僕は、人生で最も勉強した時期を過ごす。

朝から晩まで予備校。勉強して、勉強して、お昼食べて、勉強して、勉強して、勉強する。

今じゃとても出来ない。

途中、スランプの時期はもちろんあった。

何だか焦りが先に立つ。不安で心配でたまらなくなって、初めてストレスが理由で熱を出した。

現役生が伸びてくる時期。浪人生は成績の伸びが鈍る。下手をすると点数が下がる。

人は弱い。

どれだけ意志を強く持ったとして、すぐにへこたれる。

歯を食いしばって勉強をする。

どうやら心理学は人気らしく、同じ大学の他の学科と比べ、心理学科は偏差値が高くなるのだ。

そかー、ま、いいさいいさ。

どうせ人生は『苦難』の連続だ。

知ってる知ってるそんなの、はははは。

と訳の分からない考えで自分の不安を紛らわせる。

新しい年を迎える。

苦手だった物理を徹底的に鍛え、センター試験(今で言う大学入学共通テスト)では奇跡が起きる。

得意科目の地理は順調。

英語、数学、国語もまずまずだ。

予備校の先生からは、「志望大学に受かりそうな人に前もって内々にお願いしているんだけど」と打診がきた。

受かったら新聞の予備校の広告に顔写真を掲載させてもらっても良いか?とのこと。

もちろんOKだ。

受かるつもりだし、そのつもりでやってる。

いざ、二次試験(個別試験)。

そして、受験というのは水物。

どれだけ準備をしても、想定外の事態は起きる。

望んだ結果にはならなかった。

人にはそれぞれ夢があって。

それでも人生は『苦難』の連続だ。

全部が全部、叶うわけじゃない。

でも、ぶち当たった壁の前で嘆くのは、もうやめだ。

実際のところ、大学がどこか何て、どうでもいい。

本当に大切なのは、自分がどうあるか。

何を見つけ、何を残し、何を伝えていくか、だ。

僕は目指す。この道の先を。

誰かが悩んで、先のことが見えなくなったとき、そんな時にどうしたら良いのか。

その答えが、心理学にはある。

かもしれない・・。

あの『苦難』の中にいた時に、欲しかったもの。

それを誰かにあげられるような、そんな人になりたい。

この気持ち、無くさないように。

決して無くさないように。

僕は弱い。とても弱い。

すぐに逃げたくなる。

でも、僕には使命がある。もう決めたんだ。

だから強い。

まだ自信はないけど、そうありたい。

3月、住み慣れた故郷を離れる。

もうここには戻らないかもしれない、とどこかで思う。

旅立ち。

夢。

未来。

高速道路を降りて、しばらくすると富士山が見えてくる。

そのまま富士山の見える方角に向かって走る。大きいな・・。

ああ、自分の存在って小さいんだな・・。

そうかそうか。

僕はまだ人生のスタートラインにも立っていないんだ。

ただただワクワクして、希望に燃えてはいるけれど。

まだ力なんてないし、親の脛をかじっていかなければ生きていけないし、先の事なんて分からないけど、いつかは自分で道を創るんだ。

4月、思いだけは力強く、着慣れていないスーツを着た僕は、静岡にいた。

(2話に続く・・何か、長くなりそう・笑)

【お知らせ】学会発表のブログ記事

先日、日本公認心理師学会で発表したことについて、ブログにアップしたのですが、読み直してみて、ただ学会発表の内容を書き直しても面白くないし、誰かの役に立つ可能性も少ないし、何より書いててもうちょっと自分自身がワクワクしたいな、と思いました。

ということで、一旦その記事はクローズさせてもらいました。

学会発表の内容は、自分の臨床の半生を話すことでもあったので、それならば、当日言えなかったことや裏舞台も含めて、何回かに分けてシリーズのようにしてみようと思います。

自分のこと(人生?)を語る初めての試み。

お、何かワクワクしてきた(笑)。

ということで、また少しずつアップしていきたいと思います!

【お知らせ】第17回『オンライン心葉の集い(4/13(日)8:00~10:00・無料)』

先日のオンライン心葉に参加してくださった方々、ありがとうございました。

それぞれ良い時間が過ごせたなら嬉しいです。

さてさて、第17回『オンライン心葉の集い』のお知らせです。

次回は、4/13(日)8:00~10:00に実施いたします。

いつもより1時間早い時間帯で行いますので、ご注意ください。

というのも、僕が10:00から所用が入ってしまったため、その前の時間帯しか確保出来なくなってしまったからです。

でも、内容はいつも通りですので、これまで参加してくださっていた方も初めての方も、是非お気軽にご参加くださいね。

途中からの参加でもウェルカムですし、所用で途中で退室するのもOKです。

以下、企画の概要を改めてお知らせします。

①ツールは、Zoomを使用します。名前はニックネーム(本名以外)にしてください。顔出しはせず、音声もオフ。顔出し・声出しをするのは、私(稲吉)だけ。(Zoomを使用したことがないという方がいらっしゃったら、操作は凄くシンプルなので、PCでもスマホでも大丈夫ですので、無料バージョンのアプリをインストールして試してみてください。)

②1回2時間(基本的には日曜日の9:00~11:00)。時間内に各自で好きなこと(本を読んでも良いし、資格などの勉強をしてもよいし、自分の仕事でも良いし、新しい何かにトライしても良し)をしてください。私もその時に必要なこと、やりたいことをします。

③参加していただくにあたり、最初に『この時間に自分は何をするのか』をチャット機能で書き込んでください。『溜まっていた新書の〇〇を読みます』『語学の勉強をします』『手紙を書きます』『瞑想します』『仕事の企画を練ります』『敢えてまったりします』などなど、何でもOKです。細かく書いてもいいですし、概要だけを書いても良いです。全国の誰かと一緒に、今ココで取り組んでいるんだ、と思ってもらえれば、それだけで良いです。もしかしたら、同じ目的で頑張っている人がいるかもしれないし、人が頑張っているのを知って刺激を得られるかもしれません。一方で、癒しの時間が必要な人もおられると思います。それぞれのニーズを尊重し、良い時間を過ごしていただければ嬉しいです。なお、書き込むことに抵抗がある方は、書かなくても大丈夫です。ご無理なくご参加くださいね。

④終了時間になりましたら、ごく簡単にで大丈夫ですので、『どんな風に過ごせたか』を書いてもらいたいです。『自分の目標が達成できた』『思ったほど進まなかった』『気持ちが乗ってきたので、この後も頑張りたいです』『久々にゆっくりできた』などなど、自由に書いてください。自分のための振り返り、という感じでしょうか。こちらも書くことに抵抗がある方は、書かなくても大丈夫です。

⑤この企画は交流が目的ではないので、誰かのコメントに対してチャットでの会話はご遠慮ください。でも、誰かが書いたことに反応したくなる時もありますよね。そんな時は、顔絵文字((*^-^*)とか(^^♪)やリアクション(拍手👏とか、いいね👍)で返信してください(特に細かいルールは作りませんが、優しいリアクション、リスペクトの表現などはむしろ大歓迎です)。

⑥時間途中でのZoomへの入退室も全然OKです。ただ、参加していない間に書き込まれたチャットについては、その後に入室しても見ることが出来ないようですので、開始時間の9:00くらいにはアクセスしていただき、終了時間の11:00までは入室しておくと、皆さんのチャットのやり取り全てを確認できるでしょうか。

さて、この企画の目的は三つ。

一つ目。人は誰かと繋がっていることでエネルギーをもらうことが出来ます。一人では何かをするにしても、心がくじけやすい。続かない。だけど、ちょっと背中を押してもらえれば頑張れたりもする。例えば、『英語の勉強をする』ということをするとして、ただそれをするより、自分を応援してくれている人がいる、って思うと、より頑張れたりする。そういう繋がりを思い出す場になれれば、ということ。

二つ目は、自分の時間を自分で創ることを体験してもらいたい、ということ。棚からぼた餅的に、朝起きたら素敵な人生が突然始まった、なんていうことはないですよね。ちょっと大げさだけど、人生は自分で道を切り開いていく必要がある。でも、その道の切り開き方って、学校で教わった?と聞かれると、そんなことはない。じゃあ、一体人生のどこで体験するの?そう、誰かと一緒に時間を過ごすことで、そのやり方を体験的に学んでいくんです。もちろん、それぞれに必要なことは違います。同じようにやる、ということではなく、誰かの姿勢や取り組みから、良い影響をもらう。この力が、自分の人生を自分で創っていくことに繋がっていきます。

三つ目は、人は本当はみんな優しいんだよ、ということを体感的に知ってもらうこと。学校や会社、そういう中で生きていると利害関係が生じて、マウント取られたり、裏切られたり、傷ついたり。でも、この企画はそういうしがらみのない中で行われます。参加していくと、誰かの頑張りを心から応援したくなるかもしれない(そうなりましょうと言っているわけではありませんので)。そして、それはお互いに伝播していく。そんな場になれば良いなと思います。

2時間というわずかな時間ではありますが、その時間に対してどんな気持ちを込めるか、によってその時間の味わい方は全く違ってきます。昔懐かしい部活のような感じ、同じ目的で集まったサークルのメンバーのような感じ、刺激を与えあう仲間に会える場、受け止め方はそれぞれだと思いますが、人生の良いひと時を共有していただければ幸いです。

直前になりましたら(前日の夜か当日の朝)、また改めてZoomのURLをお知らせをいたします。

『自分のやりたいこと』を準備して、待っていてくださいね。

それでは、当日お会いするのを楽しみにしています!

【お知らせ】女性カウンセラーが『カウンセリングスペースcoton(ことん)』を立ち上げました

当オフィスの育児カウンセリング・女性のケア部門担当の女性カウンセラーが、新しく、メンタルトリートメント部門『カウンセリングスペースcoton(ことん)』を立ち上げました。

これまでの育児カウンセリング・女性のためのトータルケアに加え、和のお手当て(クラニオセイクラルセラピー)、だっことおんぶの相談、癒しのボディワーク、栄養でこころを整えるケア、心理カウンセリング、各種講座などをもとに、子育てにかかわる方々や女性のみなさまのからだとこころをトリートメントいたします。

ご相談者様の『からだとこころ』がゆるむこと、ご相談者様が自分の中にある自分の『力と軸』を確かめて、それと共に日常に戻っていけることを大切にしています。詳しくは、こちらのHPをご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。

良くなるカウンセリングでは何が起きているのか

久々のブログの記事。

どんなことを書くと、読んでいただいた方の役に立つのかな~と思って。

心理療法のこととか、疾患のこととか、色々な心理学的な知識などを書くことも出来るけど、実際のところ、〇〇セラピーとか、〇〇メソッドとか、今はネットや書籍などで情報が溢れているので、そうした知識にアクセスしようと思えば、断片的な情報には比較的簡単に行きつくことが出来る。

なので、ここでそういうことを書いても、あまり意味がないし。

その一方で、当オフィスには、「EMDRを受けたいです」、「ソマティック・エクスペリエンスを受けたいです」「催眠に興味があって」、「トラウマをケアしたい」などのニーズで来られる方も多く、中には本当によく調べて、勉強して、専門家でも驚くくらいの知識を持ってこられる方も、まれにいらっしゃます。

でも一般的には、『カウンセリングって何なのか』とか、『どうしたら症状が良くなるのか』とか、肝心なところ、本質的なところを教えてくれる情報ってあまりなくて、『〇〇すれば絶対痩せる』『ガンは〇〇したら治る』みたいな認識になっていることが多い。

そして、カウンセリングと言っても、カウンセラーによってやり方は違うし、検索して色々とHPを調べてみても、それぞれの違いがそもそもよく分からなかったり。

著作も沢山あるような名の知れたカウンセラーさんのとこに行ったら傷ついた、とかも聞くし。

医療機関を長年受診されている方も来られたりしますが、「主治医の先生から、どうすると良くなっていくか説明を受けていますか?」と聞くと、ほとんどの方は、「うーん・・」とか「いや、特には・・」と答えます。

もちろん、薬の効果の説明はあると思いますし(ないことも実際にあったりするけど・・)、「よく眠りましょう」とか「考えにとらわれ過ぎないように」などのアドバイスを受けていることもありますが、でもこれは『どうしたら良くなるのか』に答えてはいません。

そして、何らかの専門家にサポートを受けている方は、それでも頼れる所があるので、薬を処方してもらったり、話を聴いてもらったり出来ますが、まだどこにも繋がれていない方の場合、もう迷子です。

カウンセリングはそういった状況の人のお役にも立てるのですが、カウンセラーの中には、「どうなると良くなるのですか?」という問いに答えられない方もいるみたいで。

こんなことを考えていて、そうか、良くなるってどういうことなのか、大切なことをちゃんと書いてみたら良いのかも、と思いました。ネットや書籍には書かれていない、本当のことについて。

ということで、カウンセリングって役に立つのかなと疑問を持っている方、カウンセリングを受けた経験はあるけれど効果がよく分からなかったという方(要はカウンセラーがすべってるわけですが)、支援者という立場の人に相談したら逆に苦しくなった方、などなどの人達のために、良くなるカウンセリングで何が起きているのか、を出来るだけ分かりやすく書いてみようと思います。

まず、心理学等の発展により、近年特に良い心理療法がどんどん開発されています。

これはとても良いことで、クライエントさんの利益になりますし、カウンセラーもより良いスキルを手にする切っ掛けを得ることができます。

新しいものが全て良い、というわけではないですが、少なくともより良いものを提供できる状況が出来てきているのは良いことですね。

自分も新しいものを学ばなければと思って、何年もお金も沢山かけて学んできました。

開業する時(2016年11月)には、自分なりに自信を持って臨んだわけです。

で、上手くいくこともあれば、当たり前ですが、上手くいかないこともあって。

そしてその度に、また必要なことを学んで。

延々とそれを繰り返して、レベルアップしなければ、と常に上を向いて。

でもね、ある時思うわけです。

これって、本当にレベルアップしてるのか?と。

気になっていた頃、あるカウンセリングについてのデータを(また聞きにですが)知りました。

それは、『カウンセリングが波に乗るまでの実情』。

カウンセリングを1回だけ受けて気持ちの整理をしたり、方向性の整理が出来ればいいな、と思っている場合は除いて、基本的には、その人の辛さには何が影響しているのか見立てて、それを受けてカウンセリングの方針を立てて、少しずつ改善をしていく、というのが流れです(もちろん、1回で良くなればどんなに良いことか、とは思いますが、そんなミラクルなことは起きません)。

ですので、何回という回数は明確に出来なくても、ある程度の回数が必要と言えます。

でも、お金を払って来ていただくのに、的が外れたことをしてしまうと、必要な回数を継続してもらえません。そう、改善する前に、途中でカウンセリングをやめてしまわれます。

これは当たり前ですね。

ラーメン頼んだら、思ってたのより不味かったり、想定外のうどんが出てきたら、「ん?」と思いますよね。

だから、ちゃんとその人に合ったプロセスを説明し、納得してもらって、かつ効果も出し続けていく。これによってカウンセリングは継続し、ゴールに向かっていくことができます。

で、データですが、その本質は、ずばり『カウンセリングの継続率』。

データの概要はこんな感じです。

初回カウンセリングに来ていただいた人が、2回目も来てくれるのは6割。

そして、2回目来てくれた人が、3回目も来てくれる割合は、またその6割。

つまり、0.6×0.6=0.36⇒カウンセリングを3回目まで来てくれる人の割合は、わずか36%。これが平均的な(?)カウンセリングの継続率ということみたいです。

データはここまでです。

なので、4回目以降がどうなのかははっきりしません。仮に4回目に来てくれる人の割合も6割だったとすると、0.36×0.6=0,216⇒4回目の継続率は22%くらい・・。

ま、4回目は仮の話なので、脇に置いておきますが、一先ず3回もカウンセリングを受ければ、そのカウンセリングを受けることで良い方向に行きそうかどうかの手ごたえが分かる、ということは言えるのかなと。

イマイチだなとか、ダメだなこのカウンセラー、と思ったら、そりゃ辞めますよね。

そして、このことから見えてくるのは、3回目までにカウンセリングを辞めてしまった64%の人達が、カウンセリングをどう評価しているか。

多分、『役に立たないな』とか『カウンセリングなんてこんなものか』と思ったことでしょう。そして、次のカウンセラーを探してくれればまだいいですが、そこで諦めてしまったら・・。

カウンセリングに限らないですが、良いな、と思う店に出会ったら、次も行く。ダメだな、と思ったら行かない。当たり前の事実。ここをカウンセラーも正面から向き合う必要がある。

ふむふむ、と思って、開業1年目の自分はどうだったか、ドキドキしながら、3回目までの継続率を計算してみました。

結果は・・・

70%。

おお。

ちょっとホッとしつつ、まだ改善の余地があったんだなと思いました。

開業してからも毎年毎年色んなことを学んで、レベルアップして、知識も増えたのだから、その後はもっと継続率は上がっているだろう。

さてさて、どのくらい上がったかな?

そう思って、これを知った5年目の時、継続率を計算してみました。

その結果・・・

70%。

どーん。何てこと!?

変わってないじゃん。偶然にも程がある。全く同じって・・。

あれだけ勉強したのに、知識も付けたはずなのに。結果が伴っていない。

筋トレ沢山やって、体重も増えたはずなのにホームランが増えない野球選手のよう・・。

何でだ!?何かがおかしい。

本当に役に立つカウンセリングを提供するには、ただ心理療法を学んだり、知識を身に付ければ良いんじゃなくて、何か違う要素があるのでは・・。そんなの、誰も教えてくれなかったぞ・・。

そう気づいてしまって、僕はこれまでとは違う臨床を模索し始めました。

もちろん、これまで学んだことをベースにしながらですが、今、目の前にいる人の役に立つことを考えて、トライアルアンドエラーを繰り返しました。

そして1年後。

開業から6年目の継続率は・・・

91%。

おお!上がった(喜)!!

うん、間違っていない。この方向性。

そして、やっと(汗)、このブログの記事の本題。

良くなるカウンセリングでは何が起きているのか。

大事な要素を書いていくと・・・

①傷ついている人を更に傷つけない

当たり前だろ、と突っ込まれそうですが、正しいカウンセリング、正しい心理療法、っていうのをやろうとすると、クライエントさんを置き去りにします。

時には、大学や研修で学んだこととズレてしまっているとしても、クライエントさんに寄り添う。この勇気が、カウンセリングの場で出せるかどうか。

世界中がこの人を見捨てたとしても、自分だけは見捨てない、と思えるかどうか。ここが優しさを生みます。これが出来なくて、カウンセラーの価値なんかないですよね。

②その人の強みを見つける

支援者という立場にいると、つい問題を探して、それを解決しようとしてしまう。もちろん、良かれと思って。それが必要なタイミングの人もいますので、そういう時は全力で問題解決に向かいます。

でも、本当に大切なのは、問題が起こったとしてもそれを乗り越える力を付けることです。心の中にそれを創っていくことです。

そのためのツールとして、〇〇療法が適切なことはありますが、〇〇療法が大切なのではありません。

大切なのは、その人が持っている強みを引き出すこと。仮に、もし今は強みがなかったとしても、とにかく畑に種を植える。そして、水をかけて根が出て、芽が出て。

そうしていけば、必ず、上へ上と伸び、葉が開き、花が咲き、実を結びます。問題がゼロになるなんてありえません。でも、強みを創って立ち向かうことは、無限に出来ます。

③カウンセラーのあり方(世界観)がクライエントさんに伝播する

クライエントさんを良い方向に導いてあげたいとして、カウンセラーのあり方が未熟だと、そこまでしか導いてあげられません。

カウンセリングが上手く行かない時に、厳しい言葉をいただくこともあります。その時に、『そうだな』と思って、受け止める力。時には凹んでしまうこともありますが、そうなっても、そこから持ち直す力。

自分で自分を癒すことを知っているカウンセラーでなければ、人のことは癒せません。辛い状況を癒した経験がなければ、人は救えません。未来への希望を語れないカウンセラーでは、誰かを導けません。道を切り開いていないカウンセラーでは、誰かにアドバイスは出来ません。泥にまみれたことがあるから、その渦中にいる気持ちが分かるんです(もちろん、カウンセリング中に直接は言いませんが)。

クライエントさんが抱えているものが沢山あるなら、それを抱えられるだけの器がカウンセラーには必要で。クライエントさんの人生のペースに歩調を優しく合わせ、更にクライエントさんの心の荷物を一緒に抱える。

時には、カウンセラーが歩いている背中を見てもらう。そうして感じてもらう。必要なことを。

④学問の枠を超えてサポートする

これは以前のブログでも書いたことですが、大切なことは心理学の中にだけあるのではありません。これまでカウンセラーが学ばなかった分野の中に大切なことが隠れていたり、カウンセリングに広がりを持たせるようなことがあったり。

これまでのカウンセリングの常識とは違う、誰もやったことがないことをすると、必ず後ろ指を指す人がいます。でも、本質が認められる未来は必ずやってくる。必ず。

今の位置に満足したら、そこまで。

何年後か、何十年後かはちょっと分かりませんが、多分、話を聞いて相談に乗るという意味での『カウンセラー』という職業は衰退していきます(誤解のないように書いておくと、その一方で、心理士(師)という専門職へのニーズはどんどん増え、仕事の種類・活躍する分野は広がっていくと思います)。

その代わり、『治療者』のような、ちゃんと治せる(直せる)職業が出てきます。それが良いかどうかは置いておいて、職業の名前は何でも良いので、躊躇なく学問の枠を超える人が増えてくると良いなと思います(余談ですが、ちゃんと治せる・直せるカウンセラー養成講座の発想はここから来ています)。

何だか書いていて、熱くなってきた(笑)。

⑤脳と身体の働きを調整する

全ての心理療法やカウンセリングは、ここに行き着きます。臨床心理士・公認心理師なので、治療という言葉は使えないのですが、でも、感覚的には治療しているんです。心の中で思うだけで、直接言わないですけど。

まずは、自律神経系の調整力をどう創っていくか。人として生きていくベースは、脳の中でも脳幹という深い部分です。ここが心臓を動かし、呼吸をし、食べ物を消化し、身体を回復させ、人を安心させる。崇高なアドバイスなんか必要ない。ここにアクセスし、日々生きていく上での工夫を一緒に検討する。

子どもが泣いているとして、優しくそばに居続けてあげると、いつしか泣き止む。大人の心も本当は同じ。

そうして、そうしてもらった経験が積み重なって、優しさを学び、誰かにしてあげることが出来るようになる。それが自己治癒力を形作って、誰かに繋がっていく。癒しの連鎖の始まり。

⑥傷ついた子どもの自分をケアする

そして、その次は、自分の中の色んな自分(自我状態とか、パーツなど言うこともあります)のケアをしていく。治りたい(直りたい)のに抵抗する自分、頼りたいのに助けの手を突っぱねてしまう自分、本当は泣きたいのに歯を食いしばる自分、本当はお父さんやお母さんに助けてもらいたかったのにそれが出来なかった自分。

傷ついた子どもの部分が大人の心の中に残っていて、人生の足を引っ張る。

どうせ分かってもらえない、信じても裏切られるにきまっている、自分なんか価値がない、服従している方が楽だ、などの形で現れることもある。

たまたま周りに心ある人達がいて、トラブルがあっても助けてもらって、ぎりぎり綱渡りで生きている人。

会社の幹部とか何かの先生とか、立場のある役職にいるので、イライラをぶつけたり、感情的に揺れても、そういうものとして周りに受け入れてもらっている人。

それでも本人の心の内は、とても苦しい。何をどうすれば良くなっていくのか、迷子になっている。

自分で自分を褒めればいい?認めてあげればいい?

いやいやいや、それは酷だよ。

子どもは誰かに褒めてもらって、認められて、初めて自分を受け入れられるようになるんです。

信じることが怖い?

うん、そうだね。

だから、その根っこを癒すんです。

そうして、これまで知らなかった優しい新しい世界が生まれていく。

カウンセリングオフィス心葉は、今年の11月で8年目を迎えます。

あの時の自分の場所から、随分と遠くまで来たような。

かと思えば、いやいや、まだまだでしょ、と思う自分もいて。

進化?進歩?

んー、言い方は何でもいい。

とにかく、人を癒して、人生の次のステップに繋がって、そうしてそれが世の中を良くしていくことに繋がったらならば、本望かな。

先に継続率は91%と書いたけど、そう、まだまだだよね。

この先、100%になる日が来るかどうか分からないけど、そういうとこを目指していることを誰かが理解してくれなかったとしても、僕はこの道を行く。

世の中は凄いスピードで変わっていく、それに伴って人も変わっていく。

だけど、人が求めていることの本質は変わらない。そこを見据えて、人が人をケア出来る世界を創っていく。

そう、まだ誰も見たことがない世界を。

新しい学び

オフィスを開室して、早いもので7年目に入っています。

ホント、ここまで、あっという間でした。

毎年毎年、時間と労力をかけて色々な心理療法を学んで、日々の臨床経験も沢山積んできて、カウンセラーとしてのあり方や倫理観も徐々に確立されてきました。

そうなると自信も付いてきて、やれることも実際に増えて、以前なら助けられなかった人も救えるようになって。

昨年、無料のオンライン講座を始めて、支援者向けのカウンセラー養成講座も始めて、自分のキャリアも、いよいよ臨床の知恵を伝達していくステップに入ってきたな、と思っていました。

こんな風に書くと、すごく順風満帆じゃないかと思われるかもしれませんが、その反面で実はとても悩んでいました。

表には出してないですけど。

このままでいいのかな、これで本当にいいのかな、って。

ブログの更新も最近していませんが、書いてはボツにして、書いてはボツにして、書いてはボツにして、を延々と繰り返していて。

密かなスランプ状態。

何でだろう・・。

自分の中で響くものが減っている?

生み出せるものが減っている?

自分の心が満たされていない?

エネルギー不足?

自分の器が一杯になってきた?

うん、どれも当てはまる。

これまで、ずっと、ずっと探してきて。

本当の癒しって何なのか、とか。頑張る力ってどうやって手に入れるのか、とか。

どうやったら人は強くなれるのか、とか。

僕らは一人でいると、超えられない壁にすぐにぶち当たる。

寂しくなったり、悲しくなったり、過去を悔やんだり。

風にあおられて、雨に降られて、埃にまみれて。

歩みを止めたくなっても、それでも歩いていかなきゃいけない現実。

どうやってそれを乗り越えたら良いのか、僕自身の内面の答えも散々探して。

静岡には、ちゃんとカウンセリングする所が少ないから、自分が何とかしなきゃと思って、頑張ってきた。

カウンセラーとして、自立して、稼いで、家族を養って。

開業前には、そんなモデルとなる人はどこを探してもいなかった。

教えてくれる人なんていなかったから、必死で自分を磨いて。そう、ひたすら磨くしかなくて。

開業してからも、失敗や後悔も沢山あって、その度に打ちのめされて。

至らない自分に失望し、それでも誰かの期待に応えたくて。

折れそうになる心を奮い立たせて、歯を食いしばって独り立ち上がる。

その頑張りもあって、自分の中で大切なもの(心葉)が固まってきたけど、それを大事にしたいと思うあまりに、いつの間にかそれに縛られて。

本当は何がしたかったのだろう・・。

元々あったはずのピュアな気持ち。

ああそうか。そうだね。

僕は、カウンセリングがしたいんじゃなくて、ただ人を良くしたいんだった。

オフィスの運営をしたいんじゃなくて、ただ世の中を良くしたいんだった。

辛い思いをしている人がいたら、ただただ助けたかった。

それだけで十分だった。

現実的にやらなければならないことが沢山あって、そういうものばかりを見ていたら、自分の心が曇ってきてしまっていた。

子どもの頃、僕は冒険が大好きでした。

木の枝を剣に見立てて、敵と戦い、草むらをはらい、道を創って、宝物を探す。

例え、そこに何かが無くたっていい。何も無くても、そこにはワクワクがあった。

僕の生き方の原点。

毎日が輝いて、楽しくて、次の冒険を探す。

もしかすると、誰も見たことがないような宝物が見つかるかもしれない。

誰もが喜んでくれる宝物が見つかるかもしれない。

そうか、そうか。そうだったね。

じゃあ、決まりだ。

カウンセラーっていう職業をしているから、臨床心理士とか公認心理師とか資格があるから、自分じゃなくなってきちゃったんだ。

専門家の立場や枠組みはとても大切。だけど、自分の心が縛られてしまうことがある。

だからね、今ココで、決めました。

カウンセラーを辞めます。

ええっ!?

マジで!?

どどーん。

でも、安心してくださいね。仕事としてのカウンセラーはこれまで通り、何ら変わりなくやります(だから表面上は、何も変わらないと思います)。

あくまでも、僕の中で、カウンセラーというアイデンティティを捨てた、ということですので。

書いて、ストンと何かが腑に落ちた気がします。

そんな訳で、カウンセラーというアイデンティティを捨てて、今年から僕は僕が必要と思った学びをしていくことにしました。

もちろん結果として、仕事であるカウンセリングの質を上げることになることを願って、です。

何を学ぶのか。色んなことが頭に浮かんでいます。

これは凄いことになりそう。

今、自分が思い描いている学びが出来たら、その人の人生を丸ごと救ってあげられるような、そんな臨床が出来るようになるかもしれない。

凄くワクワクする。

それでいて背筋が伸びて、身も氣持ちもピシッと引き締まるような。

新しい未開の土地で冒険を始めるような。

いつか僕の辿った道のりを、誰かが知ることになるかもしれない。

降りやまない雨はない。

そう、僕もそうだし、あなたも同じ。

命は限られているから、僕は進む。

この先、次の世代のために、より良い世の中を残してあげたい。

心が活き活きとして、誰かが誰かをソッと支えてあげる、そんな社会になっていくと良いな。

そんな未来も思いながら、僕は次のステージに向かうことにしました。

今、心葉のカウンセリングに来ていただいている方々や、これから先の未来にカウンセリングに来ていただく方達のためにも、大切な宝物を見つけたいと思います。

【お知らせ】対談させていただきました

Twitterのスペースで対談をさせていただきました。

ホストは、かけい臨床心理相談室の掛井一徳先生。

大学時代からお世話になっている(というか先輩・笑)、とても面白い先生です。

トラウマケア技法のBCT(ボディコネクトセラピー)を開発された東京未来大学の藤本正樹先生の講演のプレイベントということで1時間程度お話をしました。

Twitterを使うのが6年振りで(苦笑)、最初アクセス出来ないというすったもんだがありましたが、無事(?)楽しくお話をさせていただきました。

いつもの臨床とは違いますが、よろしければ聴いてみてください(開始5分過ぎまでは無音ですので、そこは飛ばしてお聴きください)。

https://twitter.com/i/spaces/1ypKdEZkDWLGW?s=20