(この記事は、僕がカウンセラーになるまでの道のりをボチボチ書いていくシリーズですので、①の続きとなります。ご了承ください)
4月の始めは、静岡といえども肌寒い。
住み慣れた愛知よりは暖かいけど、それでもまだ風は冷たい。
遠いような近いような距離感で、ほんのり雪を被った富士山が見える。
地元から離れ、別の土地に来たことを実感する。
ああ、生まれて初めての1人暮らしが始まるんだ。
最初の3か月は風呂・トイレが共用の古い木造のアパートに住む。
正直言って、ボロボロである。
3か月後に新築されるアパートに入居することを条件に、とりあえずこの3か月は古いのに住んでくれと、大家さんからの説明。その間、家賃も安くしますよと。
全然OKですよ。これまでの『苦難』に比べれば、天国です。
桜が咲いているとは言え、この寒さ。
コタツもまだあった方が良いだろうとの判断は正しく、引っ越し早々に大活躍した。
まさかとは思うが、とても半袖・半ズボンでは過ごせない。
2階建ての古い木造アパート。
というより『寮』と言う方がしっくりくる。
7.5畳くらいのワンルームが1階・2階で合わせて12部屋。
皆、大学1年生だ。
僕は2階の一番奥の角部屋。
玄関で靴を脱いで、部屋までの廊下を歩く。
どの部屋に誰がいるか、廊下から音は筒抜け。
隣の部屋は横浜から来た女の子。
何かドキドキする。
生まれも育ちも皆バラバラ。
方言もバラバラ。だから地方ネタは盛り上がる。
地元の名産や独特な習慣の話。
誰が、何を話しても、皆に受ける。
どれも新鮮で、鉄板ネタになる。
一部屋に皆で集まって、夜な夜な語る。そして、夜は更に冷える。
コタツが嬉しい。暖かさは、人の心を優しくするんだ。
書くのは恥ずかしいが、『和気あいあい』というのはこういう雰囲気を言う。
が、楽しいのはいいとして、どうも雰囲気に違和感を感じざるを得ない。
自分の概念にないものを認識すると、人は目を丸くする。
そう、部屋でありえないものが目に入って、それを誰もが二度見した。
楽しいその輪の中心。
半袖・半ズボンの男が、ドーンと座っているのだ。
皆、心の中でつぶやく。
この寒さだけど・・・。
でも、言葉は飲み込む。
そう彼には、引っ越し早々に皆お世話になっていたのだ。
3月末の引っ越しの日。
アパートの玄関先で彼に会った。
むろん、半袖・半ズボンだ。
明らかに僕にはないものを彼は持っていた。
同じ1年生のはずなのに、既に大家さんからはアパートの説明役(?)に抜擢され、何故か大家さんからではなく、彼からアパートの使い勝手についての説明を受ける。
気さくで、面白い人だ。
だからかどうか分からないが、僕らは自然と馬が合った。
学部は違ったけれど、頭が切れる人で、口も立った。
何と言うか、人が集まると、自然にボスになっちゃうような感じの人というか。
その後、同じサークルに入って、同じバイトもした。
人は異文化に触れたり、新しい刺激を受けると成長する。
浪人を経て、僕はとにかく自分を成長させる機会に飢えていた。
カウンセラーを目指すとは言え、どんな道を歩めばいいか分からなかったし、今の自分の力が弱いことも知っていたから。
ところで、人生というのはやはり『苦難』の連続である。
肝心の大学の授業はどうかと言えば、だ。
心理学統計法?心理学基礎実験?心理学研究法?
聞いたことも見たことも、食べたこともないような名前の授業。
人を助けるため、と思い描いた、そんな心理学の授業が全くないのだ。
先生もブツブツ独り言のように話す。
予備校の先生は、熱心に、面白く、何かを届けてくれようとしたんだけどな・・。
そうして、段々と気づいてくる。そうか、大学の先生は研究者だ。
授業に熱を込める人もいれば、そうでない人もいる。
熱量のない授業。
よくこんな授業に出席するよな、と思い始め、3か月程過ぎた頃には、あれよあれよと足が遠のく。
「今日は授業何コマ?」
友達から聞かれる。
「今日はパス」
と答える。
正確には「は」ではなく、「も」である。
『授業で使うから』と言われて、学生生協の書店で買った1ページも開かなかった高価な本達は、新しいアパートの部屋で完全にインテリアと化した。
そんな感じで、大学は行ったり、行かなかったり、どちらかと言えば行かなかったり。
折角学びたいものを見つけたのに、肝心のコンテンツがない・・。
だからなのか定かではないが、僕は同世代の仲間と創り出す企画運営のようなものにハマった。
半袖・半ズボンの彼がリーダー。
僕はサブリーダーのようなポジションでいることが多かった。
新築のアパートになり、完全な独り暮らしの部屋に引っ越した後も、僕らは仲が良かった。
若くて、勢いがあって、前向きで、でもそのエネルギーをどこにぶつければいいのか、どう形にすればいいのか、誰も教えてくれないから、皆で創る。
熱に浮かされたように、僕らは活動する。
思い付いたことは全部やる。
やれないとか、分からないではない。やる。
僕は猛烈に成長することに飢えていた。
1人では出来ないことも、志を持った仲間が集まれば、実現していく。
例えば、テレビでニュースが流れる。
日本海で外国のタンカーが座礁して、重油が砂浜に流れ着いている。
海が汚れ、海鳥が油にまみれている。痛々しい。
何とかしなきゃ。
仲間を募って、夜行バスをチャーターし、重油を取り除くボランティアに行く。
ある時は、老人ホームでボランティアで話し相手になってくれる人が欲しいらしいと知る。
行く。
大学祭の催し物。地域の子ども達向けのブースに空きがある。何かイベントをやってくれないか?
やる。
あーでもない、こーでもないと、企画運営について、夜な夜な議論を尽くす。
朝日を浴びて、泥のように眠る。
大学1年生の秋も深まってきた頃、大きなイベントの企画が決まった。
静岡県庁の新聞記者達が仕事をするフロアに行く。
初めての場所で記者会見をする。
「中学・高校・大学といった若い世代が、語り合って、今必要なこと、これから必要なこと、そういう刺激を得て高めあえるようなフェスティバルを開催します!」
半袖・半ズボンが力強く宣言した。
(安心してください。ここではスーツ着てます(笑)。)
様々な新聞に掲載され、県外からもフェスティバルには人が来てくれた。
失敗もあったが、音楽もあり、食べ物もあり、真面目もあり、熱もあり、出会いもあった。
毎年やれたらいいね!誰もがそう思った。
人が人を呼び、うねりのように僕らの背中を押した。
僕らはそれに乗った。
とにかく、そういう日々。
そして、それはそれは楽しくて。未だに思う。
大学の授業受けるよりも、よっぽど自分の血となり、力となったって。
人が集まれば、より多くのことが出来る。
段々と規模も大きくなる。
人の思いも様々になってくる。
人間関係も入り組んでくる。
だけど、僕の力は未熟だ。
熱意をもって皆が動いていたけれど、いつしか方向性がブレ始め、一人二人と脱落し始める。
社会的に注目された企画が段々と回らなくなる。
焦りの中、動く。
それでも追い付かない。
昼夜も関係なく、動く、動く。
話し合いをするほど、心と心が離れていく。
だめだ、だめだ、このままじゃ。
楽しかったことが苦しくなって。
苦しいことが当たり前になって。
何のために動いているのか分からなくなって。
人生は『苦難』の連続である。
同級生が教育実習に向けて死に物狂いなのを横目に見ながら、大学の授業への興味は完全に消え失せ、サークル活動にのめり込んでいた大学2年生の夏。
疲弊していく仲間を繋ぎとめようと奔走し、それでも離れた心は簡単には戻らない。
僕らは成長したかった。
熱を込めた時間を過ごしたかった。ただそれだけだったのに。
振り返ってみれば、わずか1年半ほどだったけど、僕らはかなり大きなムーブメントのようなものを創り出していた。
100メートル走のように、皆全力で駆け抜けた。
でも、人生は100メートル以上続く。
そんなことも、あの時の僕らは知らず。
あんなに熱量のあった半袖・半ズボンの彼も燃え尽きていた。
リーダーを失うと、組織はあっという間に崩壊していく。
そうして気づけば、僕もボロボロになっていた。
成人式よりもこっちが大事と思って、地元には帰らない。
そのくらい熱を入れていた活動が、跡形もなく、仲間共々消えた。
20歳。
僕は心が空っぽになる、ということを経験した。
一人で夜な夜な酒を飲むことを覚えた。
朝まで飲んで、昼間眠って、夕方起きる。
たまに近くの定食屋でバイトする。
え?授業?
何だっけそれ。
部屋の片隅では、大学に入って初めて買ったエレキギターが埃を被っている。
バンドも一応やってはいたけれど、練習も中途半端な、なんちゃってギタリスト。
心の支えはU2の音楽だけだった。
『Where the streets have no name』。
まだ名前の付いていない所。約束の地へ。
成長したかった、ただそれだけなのに、僕はどこへ来てしまったんだろう。
その夏、あんなに活動的だった僕の記憶がほぼない。
抜け殻になると、人はそうなるんだと身をもって知る。
何だかよく分からない大きな夢の尻尾をかろうじて掴んで。
自分の使命は何だろうかと思いを馳せる。
酒を飲んでは、U2のライブ映像を見て、夜はよく一人泣いた。
季節は流れて。
秋になったが特にすることがない(←いい加減授業出ろ・笑)。
でも時間だけはあった僕は、隣の大学の図書館にしばしばいた。
ん?何で自分の大学の図書館じゃないんだ?
という、正しい最もな突っ込みに丁寧に答えるとすると。
その大学は出来たばかりで綺麗だった。
図書館にも良い本を厳選して置いているらしいという噂があった。
行ってみると、果たして噂は本当であった。
無料で良い本を読める。これは良いではないか。
心理学の授業には出る気が全くなかったが、まだ心理学への興味はかろうじてあるのだ。
そしてそこは女子が多かった。
というか、ほぼほぼ女子だった。
そういう興味もあるお年頃なのだ。
事実を丁寧に、正確に説明しているだけである。
決してよこしまな考えがあったわけではない。
男子まみれの母校ではなく、たまには女子まみれの中で、本にまみれてみようという崇高な考え、信念を持っての行動である。
学生にとって大切なことは何か、そう言わずもがな勉学である。学業である。
当たり前である。
誰が何と言おうと、まみれるのだ。
授業に出てなくたって、ビシッと言ってやるのだ。
今日も崇高な意志を持って、意気揚々と図書館でまみれようではないか!
という、抑えようにも抑えがたい若々しい気持ちはありつつ、確かに、本は良いものが揃っていた。
専門書の値段は結構高い。
学生ではとても沢山は買えない。
だから、これはありがたい。
しばし入りびたり、お昼は近くの弁当屋さんでから揚げ弁当を頼む。
店のおばちゃんは、「サービスね」と言って、いつもから揚げを一つ多く入れてくれた。
男子で良かった、と思える瞬間である。
そして女子率が高いと、何故か背筋が伸びて、読書に集中出来たのだ。
男という生物は不思議なもの(アホ)である。
が、そのアホな考えは、ある本を手にしたことによって粉々に打ち砕かれた。
『人間と象徴』(著:カール・グスタフ・ユング)。
僕の人生のターニングポイント。
衝撃と答え。
求めていた心理学の道がそこにはあった。
図書館で分厚い本を読み始めて、脳が興奮しているのが分かった。
身体の奥の方が熱くなる。
何だ!?この分野は。
無意識?夢分析?原型?象徴?
これ、図書館じゃなくて、自分の部屋でじっくり読みたい!
こうなったら、動くのである。
むろん正々堂々と。
まずは、図書を借りるためのカードを手に入れなければならない。
当たり前だけど、他大学の学生はそんなものはもらえない。
そりゃそうだ。
うむむ、と考え、心理学の自主研究会に参加させてもらう。
男子学生は珍しいので、先生はすぐに気に入ってくれる。仲良くもなる。
すると先生が「君は勉強熱心だねぇ」と感心して言う。
「そうなんです、へへ」と僕は純粋な眼で言う。
「もっと勉強したいんですよ。へへ」と僕はたたみかけて言う。
感銘を受けて、「よしよし、じゃあ君は特例だ」と先生は言う。
真心を込めて、「へへへ」と僕は言う。
そうして、特例としてその大学の図書館利用カードを手に入れたのである、へへ。
と、正々堂々と力業を駆使し、上下巻を借り、ダッシュで部屋に帰る。
僕の中で止まっていた心理学の時計が再び動き出す。
秋の夜は過ごしやすい。
部屋で一人、読み終える。
カウンセラーってなんだろうか。
何によって人は癒されていくのか。
まだ答えは分からないけど、人は自分の心を越えた何かと繋がって、そうして癒されていく。
本当の癒しに繋がる答えが、無意識の世界にはあるかもしれない。
『じゃあ大学院に行く』。
読み終えて、そう決めるまで秒。
そう思ったら、くそつまらんと思った授業にも出られるようになった。
大きな目標が見つかると、こまごまとした嫌なことは、ただの通過点となった。
そうして僕は、人の心の無意識を探求していくことになる。
U2の音楽は、そんな僕を後押しした。
『Where the streets have no name』。
まだ名前の付いていない所。
約束の地へ。
何だかまだ得体の知れない大きな夢。
夜な夜なU2のドキュメンタリー映画『RATTLE AND HUM』を観る。
良かった、また自分の道を見つけることが出来た。
自分の使命は何だろうかと思いを馳せる。
でも、一旦燃え尽きた傷も抱えていて、仲間を失った癒されない心もあって・・。
僕らは、これから一体どこに行くんだろう。
大切なものを、ちゃんと大切に出来るんだろうか。
船出の前日のような、まだ見ぬ新しい地を夢見るような。
得たものと失ったものを心の天秤にかけてみる。
動いて動いて、止まらない。
止まる気配すらない。
いや、今は止まらなくたっていい。
人生は『苦難』の連続である。
苦しいことはいっぱいある。
きっとこれからもいっぱいあるだろう。
が、もしかすると人生は『挑戦』の連続でもあるかもしれない。
『Where the streets have no name』の冒頭。
『ケ』から『ハレ』へ。
暗闇から光へ。
絶望の中から希望を叫ぶ。
まだ届かない何かに向かって、手を伸ばす。
大丈夫、これからだ。
そう思える。
圧巻のライブ。
僕は『ケガレ』てしまった。
でも、U2のボノやエッジのように、いつか誰かを『ハレ』に導きたい。
同時に、そんな力を持つことが出来るんだろうか、とも思う。
不安と夢と。
答えのない夜。
誰も本当のことを教えてはくれない。
エッジがギターを鳴らし、ボノがステージを駆ける。
胸の奥が熱くなって、何だか泣けて泣けて仕方がない。
秋が深まる頃、傷を抱えたまま、それでも、前へ前へと、僕は進んだ。